手塚治虫とメビウス、
日仏の漫画の歴史を変えた、
名実供に「漫画の神様」と称される二人ですが、
なんとこの二人の神様が実際に会ったことがあるようです。
◆ 1982年の手塚治虫とメビウス
● 「Tezuka Osamu @ World」内「OSAMU STAR>年譜>1980年代」
● 「Tezuka Osamu @ World」内「OSAMU STAR>思い出写真館>手塚治虫を囲んで>仲間と供に>3ページ目」
一つ目のリンクに手塚治虫の年表が記載されていますが、
その1982年の項にメビウスの名前が見えます。
1982年1月27日
フランス アングレームの
<第10回コミック・コンベンション>に参加(~2. 1)。
画家メビウスと知り合う。
1982年7月27日
「時の支配者」宣伝のため来日したメビウスの
京都・奈良旅行に同行。
1982年7月31日
池袋西武スタジオ200にて
メビウス来日記念シンポジウムが行なわれ出席。
「アングレームの<第10回コミック・コンベンション>」
というのは、おそらく
アングレーム国際ベデフェスティバル
(ANGOULEME BD, FESTIVAL INTERNATIONAL DE LA BANDE DESSINEE)
のことでしょう。
● アングレーム国際ベデフェスティバル
フランス漫画界最大のイベントで、
手塚治虫のほかにも大友克洋や鳥山明が招待されたことがあるようです。
[
メビウス&大友克洋対談記事:「OTOMOEBIUS」1]
メビウスと競作した唯一の日本人、谷口ジローも、
同祭で受賞経験があったりします。
二つ目のリンクでは、なんと京都での二人の写真が紹介されています。
神様二人の写真、凄すぎです。
なお、メビウスの横に座っているフランス美人は、
メビウスの前妻クロディーヌ・コナン(Claudine Conin)であることが
分かっています。
さらに、このときの事を伝えている
映画雑誌「バラエティ」誌82年10月号の記事を
真さんから個人的に提供して頂きました。
ありがとうございました。
興味深いところだけ、引いておきましょう。
メビウスが「スターログ」誌が主催する、
第1回国際SFアート大賞の審査員のひとりとして来日し、
大賞の発表記念の関連特別企画として
彼のシンポジウムと「時の支配者」の上映会が
実現したからだ。
日本に来て、メビウス来日実現は、
メビウス・ファンの手塚治虫氏の力によるものだと知った。
ついた翌日から、
僕は手塚氏と、やはりSFアート大賞のアメリカの審査員
ロバート・マッコール
(「2001年宇宙の旅」やNASAのイラストで有名)
夫妻、
そしてメビウス夫妻と京都、奈良を旅したのだが、
今考えればこれは銀河系史に残る
大イベントだったのである(?)。
実は現代の宇宙の三賢人が集まったサミットでは、
人類の未来についてのある決定が取り決められたのだが、
残念ながら僕はその秘密をばらすわけにはいかない。
「時の支配者」の上映会の後で
メビウスと手塚治虫氏のシンポジウムがあった。
手塚氏でさえも、
一時メビウスの絵をマネようとしたこともあるという告白には、
ちょっと驚かされたが、
メビウスの傑作な発言は本誌連載陣のひとり、
大友克洋氏に関してのものだった。
[中略]大友氏の描いた「幻魔大戦」の
キャラクター・デザインのイラストを見て、
メビウスは“彼は私の弟子なんかでない!”と強く否定した。
[中略]
“だって彼は私なんかよりずっとうまいじゃないか!”
記事中、手塚治虫がメビウスの絵を真似しようとした、
とありますが、
これは「メビウス線」として知られているエピソードです。
手塚治虫が、メビウスの描く線をこう名付けて
真似しようとしていた、と言われています。
ルネ・ラルー監督のアニメ映画『時の支配者』では、
メビウスはキャラクターデザインやストーリーボード等を
担当していたようです。
以下の記事でトレイラー動画を見ることのできるページも
紹介していますので、
くわしくはそちらを参照してください。
[
バイオグラフィー訳案16 ―『時の支配者』動画サンプル―]
◆ メモ
● 「遊遊 空間」内「本棚>月刊バラエティ」
● 「メビレンジャー」内「COLLECITON」
「スターログ」はSF専門誌の誌名です。
80年代にメビウスを紹介していた代表的な雑誌です。
● 「SF MOVIE DATA BANK」内『幻魔大戦』
● アマゾン日内DVD『幻魔大戦』
手塚治虫とメビウスの写真の情報は
「本、映画、音楽」の管理人さんから、
「バラエティー」の情報は真さんから
教えていただきました
ありがとうございました