宮崎駿の『風の谷のナウシカ』にも影響を与えた、
フランスの漫画『Arzach』の和訳です。
[
『Arzach』(アルザック)解説]
[
メビウス&宮崎駿対談動画:文字おこしと全和訳1]
誤訳のチェックとまとめです。
後々のためにこれまでのものと合わせて示しておきます。
INTRODUCTION
イントロダクション
QUAND 《ARACH》 FUT PUBLIE,
L'IMPACT PUBLIC A ETE ETONNANT.
CES PAGES FIRENT L'EFFET D'UNE BOMBE,
D'UNE PETITE REVOLUTION DANS LE MONDE DE LA BANDE DESSINEE.
LE FAIT QU'IL N'Y AIT PAS LE MOINDRE TEXTE DANS CES PAGES
A D'ABORD BEAUCOUP SUPRIS.
EN OUTRE,
L'HISTOIRE NE CORRESPONDAIT A
AUCUN DES SCHEMAS NARRATIFS CLASSIQUES,
DU MOINS DANS LE DOMAINE DE LA BANDE DESSINEE,
CAR DANS LA LITTERATURE CONTEMPORAINE
CE GENRE DE CHEMINEMENT N'A RIEN D'EXCEPTIONNEL.
ENFIN, GRAPHIQUEMENT,
JE N'AVAIS PAS MENAGE MA PEINE
ET J'AVAIS CONSACRE A CHAQUE IMAGE UNE SOMME DE TRAVAIL
ET UNE ENERGIE COMPARABLES A CELLES QUI,
D'ORDINAIRE, SONT RESERVEES A UN TABLEAU OU A UNE ILLUSRATION.
POUR MOI,
《ARZACH》 FUT UNE SORTE DE PASSAGE A L'ACTE,
UNE PLONGEE DANS DES MONDES ETRANGES,
AU-DELA DU VISIBLE.
POUR AUTANT,
IL NE S'AGGISSAIT PAS DE PRODUIRE UNE HISTOIRE BIZARRE DE PLUS,
MAIS DE REVELER QUELQUE CHOSE DE TRES PERSONNEL,
DE L'ORDRE DE LA SENSATION.
J'AVAIS COMME PROJET
D'EXPRIMER LE NIVEAU LE PLUS PROFOND DE LA CONSCIENCE,
A LA FRANGE DE L'INCONSCIENT.
CETTE HISTOIRE FOURMILLE DONC D'ELEMENTS ONIRIQUES.
LORSQU'ON S'ENGAGE DANS CE TYPE DE TRAVAIL,
LES VANNES DE L'ESPRIT S'OUVRENT SOUDAIN,
LAISSANT APPARAITRE LES FORMES, LES IMAGES,
LES ARCHETYPES QUE L'ON PORTE EN SOI.
DANS LA PREMIERE IMAGE, PAR EXEMPLE,
LA TOUR GIGANTESQUE EST UN SYMBOLE PHALLIQUE EVIDENT,
DE MEME QUE LE CHAPEAU D'ARZACH
ET QUANTITE D'AUTRES FORMES DISSEMINEES DANS CES PAGES.
NATURELLEMENT, CELA N'A RIEN DE DELIBERE,
JE NE ME SUIS PAS ASSIS DEVANT MA TABLE EN ME DISANT :
《TIENS, JE VAIS FAIRE UN TRUC DANS LE GENRE PHALLIQUE,》
C'EST ARRIVE PLUS SUBTITLEMENT.
僕がはじめて「アルザック」を発表したとき、
それを読んだ人たちはそれはもう驚いたそうだ。
こんな漫画ははじめてだ、
バンド・デシネの世界に革命が勃(お)こった、という具合にね。
この作品には台詞もオノマトペも無いんだけど、
まず何よりも、それがみんなを驚かせたんだと思う。
しかも話の内容まで、それまでのものとは似ても似つかぬ構造で、
かろうじてバンド・デシネと言える代物だったわけだからね。
でも僕は、同時代の文学のなかにあって、
バンド・デシネは、
何よりも進歩をこそ旨(むね)として行かなきゃならないと思っていたんだ。
もちろん、絵に関してはいっさい手は抜いていない。
一枚一枚の絵に持てる技術のすべてを注ぎ込んであるし、
一コマ一コマに
普通なら一枚の絵を描くのと同じくらいの精力を注ぎ込んである。
僕にとって、『アルザック』というのは何かを始めるきっかけだった。
『アルザック』を通して、
僕はいろんな不思議な世界を旅することが出来た。
目に見える世界の向こう側に辿りつくことが出来たんだ。
もちろん、だからと言って、
むやみに変な話を作れば良いってものではない。
大切なのは、自分のごくプライベートな感情を打ち明けるってことだ。
僕は「アルザック」で、自分の意識の深層、
無意識のとばくちにあるものを表現したいと思っていた。
だからこの物語には、
僕の夢の素(もと)が詰まっているってわけだ。
読者がひとたびこういったタイプの物語に入り込むと、
心の扉がとつぜん開かれて、
自分のなかに眠っていたもやもやしたものや、イメージや、
普遍的な何ものかが、だんだんと形を成してくることに気が付くはずだ。
たとえば「アルザック」第一話の扉絵を観てほしい。
ここに描かれている巨大な塔は、あきらかに男根の象徴だ。
ほかにも、アルザックの帽子や、
物語のなかに出てくる色々な物についても同じことが言えると思う。
もちろん、
こういった事にちゃんとした解答が用意されているわけではない。
僕は、
「さて、これは男根の象徴として描いておこうかな」
なんてことを言いながら、
机に向って絵を描いてるわけじゃないからね。
そういうのは、もっと漠然と感じ取られるものだと思う。