[
索引]
*メビウスについてまったく何も知らない人を想定して、
訳文に簡単に注を付けてあります。
文中のリンクをクリックすると注に飛ぶようになっています。
注の最後の
▲をクリックすると本文の該当箇所に戻ります。
INTRODUCTION
イントロダクション
QUAND 《ARACH》 FUT PUBLIE,
L'IMPACT PUBLIC A ETE ETONNANT.
CES PAGES FIRENT L'EFFET D'UNE BOMBE,
D'UNE PETITE REVOLUTION DANS LE MONDE DE LA BANDE DESSINEE.
LE FAIT QU'IL N'Y AIT PAS LE MOINDRE TEXTE DANS CES PAGES
A D'ABORD BEAUCOUP SUPRIS.
EN OUTRE,
L'HISTOIRE NE CORRESPONDAIT A
AUCUN DES SCHEMAS NARRATIFS CLASSIQUES,
DU MOINS DANS LE DOMAINE DE LA BANDE DESSINEE,
CAR DANS LA LITTERATURE CONTEMPORAINE
CE GENRE DE CHEMINEMENT N'A RIEN D'EXCEPTIONNEL.
ENFIN, GRAPHIQUEMENT,
JE N'AVAIS PAS MENAGE MA PEINE
ET J'AVAIS CONSACRE A CHAQUE IMAGE UNE SOMME DE TRAVAIL
ET UNE ENERGIE COMPARABLES A CELLES QUI,
D'ORDINAIRE, SONT RESERVEES A UN TABLEAU OU A UNE ILLUSRATION.
POUR MOI,
《ARZACH》 FUT UNE SORTE DE PASSAGE A L'ACTE,
UNE PLONGEE DANS DES MONDES ETRANGES,
AU-DELA DU VISIBLE.
POUR AUTANT,
IL NE S'AGGISSAIT PAS DE PRODUIRE UNE HISTOIRE BIZARRE DE PLUS,
MAIS DE REVELER QUELQUE CHOSE DE TRES PERSONNEL,
DE L'ORDRE DE LA SENSATION.
J'AVAIS COMME PROJET
D'EXPRIMER LE NIVEAU LE PLUS PROFOND DE LA CONSCIENCE,
A LA FRANGE DE L'INCONSCIENT.
CETTE HISTOIRE FOURMILLE DONC D'ELEMENTS ONIRIQUES.
LORSQU'ON S'ENGAGE DANS CE TYPE DE TRAVAIL,
LES VANNES DE L'ESPRIT S'OUVRENT SOUDAIN,
LAISSANT APPARAITRE LES FORMES, LES IMAGES,
LES ARCHETYPES QUE L'ON PORTE EN SOI.
DANS LA PREMIERE IMAGE, PAR EXEMPLE,
LA TOUR GIGANTESQUE EST UN SYMBOLE PHALLIQUE EVIDENT,
DE MEME QUE LE CHAPEAU D'ARZACH
ET QUANTITE D'AUTRES FORMES DISSEMINEES DANS CES PAGES.
NATURELLEMENT, CELA N'A RIEN DE DELIBERE,
JE NE ME SUIS PAS ASSIS DEVANT MA TABLE EN ME DISANT :
《TIENS, JE VAIS FAIRE UN TRUC DANS LE GENRE PHALLIQUE,》
C'EST ARRIVE PLUS SUBTITLEMENT.
僕が
はじめて「アルザック」を発表したとき、
それを読んだ人たちはそれはもう驚いたそうだ。
こんな漫画ははじめてだ、
バンド・デシネの世界に革命が勃(お)こった、という具合にね。
この作品には台詞もオノマトペも無いんだけど、
まず何よりも、それがみんなを驚かせたんだと思う。
しかも話の内容まで、それまでのものとは似ても似つかぬ構造で、
かろうじてバンド・デシネと言える代物だったわけだからね。
でも僕は、同時代の文学のなかにあって、
バンド・デシネは、
何よりも進歩をこそ旨(むね)として行かなきゃならないと思っていたんだ。
もちろん、絵に関してはいっさい手は抜いていない。
一枚一枚の絵に持てる技術のすべてを注ぎ込んであるし、
一コマ一コマに
普通なら一枚の絵を描くのと同じくらいの精力を注ぎ込んである。
僕にとって、『アルザック』というのは何かを始めるきっかけだった。
『アルザック』を通して、
僕はいろんな不思議な世界を旅することが出来た。
目に見える世界の向こう側に辿りつくことが出来たんだ。
もちろん、だからと言って、
むやみに変な話を作れば良いってものではない。
大切なのは、自分のごくプライベートな感情を打ち明けるってことだ。
僕は「アルザック」で、自分の意識の深層、
無意識のとばくちにあるものを表現したいと思っていた。
だからこの物語には、
僕の
夢の素(もと)が詰まっているってわけだ。
読者がひとたびこういったタイプの物語に入り込むと、
心の扉がとつぜん開かれて、
自分のなかに眠っていたもやもやしたものや、イメージや、
普遍的な何ものかが、だんだんと形を成してくることに気が付くはずだ。
たとえば
「アルザック」第一話の扉絵を観てほしい。
ここに描かれている巨大な塔は、あきらかに
男根の象徴だ。
ほかにも、アルザックの帽子や、
物語のなかに出てくる色々な物についても同じことが言えると思う。
もちろん、
こういった事にちゃんとした解答が用意されているわけではない。
僕は、
「さて、これは男根の象徴として描いておこうかな」
なんてことを言いながら、
机に向って絵を描いてるわけじゃないからね。
そういうのは、もっと漠然と感じ取られるものだと思う。
《ARZACH》 A UN COTE TRES NEGATIF.
LORSQUE J'AI COMMENCE A LE DESSINER,
J'ETAIS TOUT A FAIT DANS LA NORME DE LA SOCIETE QUE JE FREQUENTAIS,
CELLE DES CREATEURS DE BANDE DESSINEE,
OU ETRE NEGATIF ETAIT UN INDUBITABLE CRITERE DE QUALITE.
LA MORT EST TRES PRESENTE.
L'OISEAU EST UN BON EXEMPLE DE CES SYMBOLES MORBIDES :
IL RESSEMBLE A UN SAURIEN PREHISTORIQUE,
ESPECE ETEINTE, ET PARAIT FAIT DE BETON.
A L'EPOQUE,
JE N'ETAIS PAS HEUREUX,
JE VIVAIS DANS UN MONDE QUI ME SEMBLAIT DUR, INQUIETANT.
LA SEULE ISSUE POUR ECHAPPER A L'EMPRISE,
AU CONTROLE DE LA CONSCIENCE,
C'ETAIT LA VOIE DU BAS,
CELLE QUI MENE AUX ZONES SOMBRES DE L'AIME.
DERRIERE LA PORTE,
IL N'Y A PAS QUE DES IMAGES DE MORT, DE MALADIE,
DE SOUFFRANCE, DE TERREUR.
『アルザック』にはすごくネガティブな面もあると思う。
この作品を描きはじめた頃、
僕は
当時関係していた会社にがんじがらめになっていたから、
その反動として、
バンド・デシネの作家としてはネガティブな状態にあった。
“死”を考えたことさえもあった。
だから、きっとそういうのが、
作品の性質にも影響しているんだと思う。
例えば、
アルザックの乗っている鳥なんかは、“死”の影響の良い例だろう。
この鳥は太古の恐竜、すでに絶滅した種によく似ている。
外見はまるでコンクリートで出来ているみたいだ。
先述のとおり、当時ぼくは幸福とは言いがたい状態で、
そんな僕にとって、世界はつらく、不安に満ちたものだった。
そして僕は、そういった抑圧から逃れるために、
自分の世界に閉じ篭(こも)るようになっていた。
いろいろな意識のしがらみから逃れて、
魂の深淵へと沈潜して行くようになっていた。
ある程度まで潜ってしまえば、
そこにはもう、死だとか、病(やまい)だとか、
不安や恐れといったイメージは無かったからね。
OUVRIR VERS LE HAUT EST BIEN PLUS DIFFICILE.
CERTAINS N'EN ONT NUL BESOIN.
ILS Y SONT RETRANGES, COUPES DES PROFONDEURS,
ET FINISSENT PAR NE PRODUIRE
QUE DES ANGELOTS SANS LIEN AVEC LE REEL.
IL FAUT QUE LES IMAGES POSITIVES REJOIGNENT CELLES DU BAS,
POUR FORMER UN TOUT HARMONIEUX ENTRE LA PEUR ET L'ESPOIR.
ON DOIT PUISER DE L'ENERGIE EN HAUT POUR ILLUMINER LES PROFONDEURS.
AINSI, LORSQUE L'ESPRIT CESSE D'ETRE DIRECTIF,
ON NE VOIT PLUS SURGIR DES IMAGES DE MORT MAIS DE VIE.
JE N'Y SUIS PARVENU QU'APRES DE TRES LONGS EFFORTS,
UN VERITABLE TRAVAIL PORTANT SUR LA TOTALITE DE MON ETRE,
SUR MES COMPORTEMENTS.
J'AI CHANGE MON ALIMENTATION,
MA FACON DE COMMUNIQUER AVEC LES AUTRES OU DE M'HABILLER...
ET JE CONTINUE A TRAVAILLER SUR 《ARZACH》...
でも、そこから現実へと目を向けなおすことは
とてもつらい作業だった。
現実の世界では、
僕の魂の問題なんてどうでも良いことだったから。
結局、作品にもそういったものは姿を表わさずに終わっているし、
現実を忘れて天使と無邪気に戯(たわむ)れる、なんていう
お気楽なお話を描いて終わり、ってわけには行かなかった。
作品にはポジティブなイメージも出て来てはいるけれど、
そういったものはすべて、
意識の深層にあったものを組み直して出来ているはずだ。
そういうふうにして、絶望と希望とがうまく調和されているんだと思う。
だから、この作品から僕の意識の深層を読み取ろうとしても、
それはかなり難しい作業になるだろう。
まあ、そんなこんなで、
魂の深淵から目を覚ました後には、
僕はもう、死のイメージにおびえる必要はなくなっていた。
思い浮ぶのは生のイメージだけさ。
でもこれは、
“長き苦闘の果て、
自己を余すところ無く表現したる真の傑作をものせり”、
なんて言うのとはまたちょっと違う感じだ。
この作品をとおして僕は、
食生活も、他人とのコミュニケーションの取り方も、
服装の趣味も変わってしまっていたから。
そういう意味では、
僕にとって『アルザック』は、まだ終わってすら居ないと思う。
《LA DEVIATION》 A ETE PUBLIEE DANS 《PILOTE》.
A L'ORIGINE,
CE JOURNAL POUR ADOLESCENTS ETAIT ASSEZ CONSERVATEUR,
MAIS UN JOUR,
RENE GOSCINNY A EU LA VOLONTE GENIALE DE BOUSCULER CETTE ROUTINE.
LES DESSINATEURS ETAIENT ENTHOUSIASTES.
CHAQUE SEMAINE,
NOUS NOUS REUNISSIONS EN COMITE DE REDACTION,
A TRENTE, PARFOIS PLUS, DANS LA MEME PIECE,
ET LES IDEES FUSAIENT JUSQU'A CE QUE LE NUMERO SOIT FAIT.
NOUS CHERCHIONS SANS CESSE DE NOUVELLES PISTES.
POUR MOI, CELA TOMBAIT BIEN.
BLUEBERRY ME LAISSAIT QUELQUE REPIT,
JE FAISAIS DES ILLUSTRATIONS DE SCIENCE-FICTION.
DRUILLET N'ARRETAIT PAS DE ME DIRE :
《TU SAIS, TU DEVRAIS DESSINER UNE BANDE DANS CE STYLE...》,
JE REPONDAIS :
《OUAIS, OUAIS...》
MAIS J'ETAIS ALORS PLUTOT PARESSEUX
ET JE N'ALLAIS PAS VRAIMENT BIEN.
「まわり道」は漫画雑誌
「ピロット」誌に発表したものだ。
この雑誌はもともとは少年向けのすごく保守的な雑誌だったんだけど、
当時、編集長の
ルネ・ゴシニーが一念発起して
編集方針を一新しようと言ってくれていた。
漫画家たちは俄然やる気になったね。
毎週みんなで集まっては、
編集会議を開いていた。
30人、ときにはもっと多くの人数で会議室に集まって、
雑誌が印刷される直前までじゃんじゃんアイデアを出し合っていた。
僕たちは未知の領域に分け入って行くのに夢中だった。
僕個人にとってもこれはグッド・タイミングだった。
当時僕は、
「ブルーベリー」に関してちょっと行き詰まっていて、
その間に
SFのイラストを描いたりしていた。
それを見た
ドリュイエがずっとこう言ってたな。
「おいおい、この作風で漫画を描いてみた方がいいんじゃないのか?!」
僕はこう答えていた。
「うーん、そうかな……」
当時僕はどうも創作意欲が涌かなくて、
制作はぜんぜん捗(はかど)ってはいなかった。
UN JOUR POURTANT,
JE ME SUIS DECIDE,
J'AI LACHE LA BRIDE A MON INSPIRATION,
AU BOUT IL Y AVAIT LA DEVIATION.
A L'EPOQUE,
JE PASSAIS REGULIEREMENT MES VACANCES DANS L'ILE DE RE.
C'EST UNE ILE TRES PLATE,
ALORS PAR UN DES PROCEDES CLASSIQUES DE L'HUMOUR
QUI CONSISTE A INVERSER LES VALLEURS,
J'EN AI FAIT UN ENDROIT DANTESQUE.
INCONSCIEMMENT, LE THEME S'EST IMPOSE,
LES IMAGES SE SUCCEDANT
ET S'ORGANISANT L'UNE PAR RAPPORT A L'AUTRE.
そんなある日のこと、
思い切ってちょっとした決断をしたことがあった。
新婚の
妻に何となくその思いつきを話してみたら、
それが結局、
僕にちょっとした「まわり道」をもたらす結果になったというわけだ。
当時僕は
レー島でヴァカンスを過ごすことにしていた。
別にどうってことのないのっぺりとした島なんだけど、
僕はそこにジョークを効かせて、
おどろおどろしい峨峨(がが)たる島として漫画に描いてみることにした。
よくあるジョークの流儀にしたがって、
価値を転倒してみせたって寸法だ。
その時には気付いていなかったけれど、
この作品には、ちゃんとしたテーマがあるように思う。
作品にあらわれる種々のモチーフは、
全体として有機的な構造をなしているようだ。
L'HISTOIRE EST SIMPLE.
IL S'AGIT DE GENS APPAREMMENT NORMAUX QUI PARENT EN VACANCES ET,
BRUSQUEMENT, S'ENGAGENT SUR UNE DEVIATION...
DANS TOUS LES SENS DU TERME, ET LA, LES ENNUIS COMMENCENT.
話じたいは単純だ。
平凡な家族がバカンスに出かける。
しかし突然、ある回り道、
まさしくある“まわり道”に、迷い込んでしまう。
そしてそこから、災難つづきの道中が幕を開けるというわけだ。
C'EST UNE PARABOLE LIMPIDE :
SI VOUS SUIVEZ LES CHEMINS BALISES DE LA SOCIETE,
TOUT VA BIEN,
MAIS SI VOUS VOUS EN ECARTEZ POUR EMPRUNTER UN CHEMIN DE TRAVERSE,
UNE DEVIATION, ALORS LA, D'ETRANGES AVENTURES VOUS ATTENDENT
ET NUL NE SAIT OU ELLES POURRONT VOUS MENER...
この作品は明らかにひとつの寓話になっている。
社会が用意したレールをなぞるだけなら何も問題はないだろう。
でも、いったん脇道にそれてみるなら、
そこには奇妙な冒険への“まわり道”が、
君たちを待ち受けているというわけだ。
この冒険の行き先は?
そんなことは、誰にも分からないんだろうね。
《注》
1
「アルザック」第一回は
雑誌「メタル・ユルラン」1975年第1旬(同誌は当時旬刊)の
創刊号に発表されました。
くわしくは以下の記事を参照してください。
[
『Arzach』(アルザック)解説]
2
この序文にはいくつか精神分析学の用語が登場します。
無意識のなかに抑圧されていた記憶が夢の材料になっている、
(忘れようとしていた記憶が夢のなかに出てくる、
という程の意味で理解しておいてください)
というのも精神分析学の考え方に則ったものです。
ただ、これらの用語は厳密に学問的な意味で使われているわけではなく、
どちらかというとオカルト的に、要は
“「アルザック」には特別な意味が込められているんだよ”
ということを言いたいのだと思います。
くわしくは以下の記事の《付記》を参照してください。
[
『ARZACH』下訳その5]
3
「『アルザック』第一話の扉絵」(LA PREMIERE IMAGE)は、
アルバム『アルザック』(Nouvelle edition ISBN:2731614080)の
21ページ目に相当すると思われます。
くわしくは以下の記事を参照してください。
[
『Arzach』(アルザック)解説]
4
「男根の象徴」(UN SYMBOLE PHALLIQUE)も
精神分析学の用語です。
秩序の象徴、という程の意味で理解しておいて下さい。
くわしくは
注2を参照してください。
5
「アルザック」第一回が発表された1975年当時、
メビウスは出版社DARGAUD社と上手く行っていなかったようです。
くわしくは以下の記事の《付記》を参照してください。
[
『ARZACH』下訳その6]
6
「アルザック」の製作時期からは10年ほど後のことになりますが、
大塚康生『リトル・ニモの野望』で、
1985年当時のメビウスが「極端な菜食主義者」であったことが
報告されています。
(同書156ページ。
[
『リトル・ニモの野望』解説])
「食生活が変わった」というのは、
この菜食主義への変更のことと思われます。
7
「まわり道」(LA DEVIATION)は
「アルザック」とは別個の作品です。
アルバム『アルザック』には、「アルザック」と「まわり道」という
二種類の作品が併録されているのです。
くわしくは以下の記事を参照してください。
[「まわり道」(LA DEVIATION)解説](製作予定)
8
「ピロット」(Pilote)は漫画雑誌の名前です。
くわしくは以下の記事を参照してください。
[
「Pilote」(ピロット)誌解説(拠ウィキペディア仏)]
9
「ルネ・ゴシニー」(RENE GOSCINNY)はべデの原作者、編集者です。
ひとまずは以下の記事の《付記》を参照してください。
[
『ARZACH』下訳その10]
10
当時「ピロット」誌上に設けられていた
「Actualites」(ニュース)というコーナーの
編集会議のことを指していると思われます。
同コーナーは、時事問題を扱う短篇漫画を複数の作家が制作し、
オムニバス形式で提示していたコーナーのようです。
メビウスも「Gir」(ジル)「Giraud」(ジロー)
というペンネームで参加しています。
くわしくは以下の記事の《付記》を参照してください。
[
『ARZACH』下訳その11]
11
「ブルーベリー」(BLUEBERRY)は
メビウスの代表作のウェスタン・コミックです。
くわしくは以下の記事を参照してください。
[
「Blueberry」(ブルーベリー)シリーズ解説]
同シリーズは、出版社DARGAUD社とメビウスの不和が原因で
1975年から1980年までの間製作が中断されていました。
12
メビウスは
二つの異なる作風と二つのペンネームを使い分けている作家です。
本名でもある「ジャン・ジロー」(Jean Giraud)名義では
ウェスタン・コミックを、
「メビウス」(Moebius)名義ではSF作品を、おもに制作しています。
60年代から70年代前半にかけては、
ジャン・ジロー名義のウェスタンコミック「ブルーベリー」が
作家活動の中心で、
メビウス名義ではSFのイラストを数点制作しているだけでした。
「ジャン・ジロー」と「メビウス」が同一人物であることも
一般には伏せられていました。
「メビウス」がじつは「ジャン・ジロー」であることが
初めて明かされたのが、
「まわり道」(LA DEVIATION)だったのです。
以後メビウスは「メビウス」というペンネームのもとに、
バンド・デシネの世界に革命を起こして行くことになります。
13
「ドリュイエ」(Philippe Druillet)はベデ作家です。
ひとまずは以下の記事の《付記》を参照してください。
[
『ARZACH』下訳その11]
1975年に撮られたメビウスとドリュイエの写真が
ウェブ上で紹介されています。
詳しくは以下の記事を参照してください。
[
1975年のメビウスの写真]
14
この「妻」は、当時のメビウスの妻
「クロディーヌ・コナン」(Claudine Conin)
を指していると思われます。
以下の記事でクロディーヌの写真を紹介しています。
[
手塚治虫とメビウス:82年の邂逅]
15
「レー島」(ILE DE RE)はフランスの西部にある島です。
メビウスがこの作品を描いた1973年当時は、
どうやら、家族向けの素朴な観光地であったようです。
また、丘陵地のほとんどない平坦な島として知られています。
くわしくは以下の記事の《付記》を参照してください。
[
『ARZACH』下訳その12]
16
1991年は、
フランスの漫画界を牽引(けんいん)してきたメビウスの活動が
ちょうど一段落ついた時期でした。
くわしくは以下の記事を参照してください。
[
『ARZACH』下訳その13 - 補足]
[
索引]