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ライフログ
<   2006年 11月 ( 21 )   > この月の画像一覧
「ネイティブの人」が新潟県人だったら
個人的なメモです。
訳文を改訂するにあたって気になることがあったので、
メモしておきます。

外国語に関する疑問を解消するために、
ネイティブの人(その言語を母国語として話す人)に
意見を訊きに行くばあいがあります

これははたして有効な解決方法でしょうか。
僕はそうではないと思うのです。
むしろ、場合によっては非常に危険な方法だと思います


◆ 納豆ってどんなもの?
外国語に関する疑問を解消するために
ネイティブの人に意見を訊いたとしましょう。
この“ネイティブの意見”というのは、
はたして信用できるものなのでしょうか


例えばあなたが外国人から、
「納豆ってどんな食べものですか?」
と聞かれたとしたらどうでしょうか。
あなたが関東の人なら、
「納豆というのは、日本の伝統的な食べもので、
 大豆を発酵させたものです。
 朝食に食べるのが一般的です」
と答えるかも知れません。
でも関西の人なら、以下のように答えるかもしれません。
(最近はそうでもないんですが)
「あんなもん腐った豆や。人間の食うもんちゃうで!」
さらにもう一例ご紹介しましょう。
僕の知人に新潟県出身の人がいるのですが、
新潟ではなんと、納豆を混ぜるときに砂糖を入れるのだそうです。
その人は生まれも育ちも新潟で、
小さいころからずっと納豆に砂糖を入れていて、
周りの人もみんなそうしていたので、
日本人は皆そうやって納豆を食べているとばかり思っていたそうです。
その人ならきっと自信たっぷりにこう答えたでしょう。
「納豆というのは砂糖を入れて食べるものだ。
 日本人なら誰でもそうやって食べている」

とうぜん上記の三者はすべて“日本語のネイティブ”なのですから、
三つの答えはすべて“ネイティブの意見”であるはずです。
はたしてどの意見を採るべきでしょうか。
“納豆には砂糖”は極端な意見として排除すべきでしょうか。
いいえ、これだって立派な“ネイティブの意見”であるはずです。
そして、僕たちが外国語の質問をしたネイティブの人が、
この新潟県人でないという保証はどこにも無い
と僕は思うのです。


◆ ネイティブってどこの誰なの?
問題はさらにあります。
「ネイティブ」というのは具体的にどこの誰を指しているのでしょうか

たとえば、(これも僕の知人ですが)
両親が韓国人の二世の人は、
日本語のネイティブとして認定されるのでしょうか。
日本語を流暢に話し、一見日本人にしか見えないシンガポール人
(こいつは関西弁も流暢に話しますが、国籍はシンガポールのはずです)
は、ネイティブではないのでしょうか。
戦後占領されていた頃の沖縄県人は、
ネイティブなのでしょうか非ネイティブなのでしょうか。
父が外国人で母が日本人のハーフの人はどうでしょうか。
やっと言葉を喋(しゃべ)るようになったばかりの子供は?

こういった微妙な例に対して、たとえば、
標準的なネイティブの意見を参考にすれば良い、
という意見があるかも知れません。
しかしこの“標準的なネイティブ”というのは、
具体的にどういった人を指すのでしょうか。
東京(しかも山の手)生まれ東京育ちで、
NHKのアナウンサーのような話し方をする人だったりするのでしょうか。
実際にはそんな人はいないでしょうし、
居たとしても、僕はそんな人は標準的でもなんでもないと思います。
それは結局、
あまりに標準的すぎて逆に変な人、でしかないのです。

けっきょく、
“標準的なネイティブ”というのは、
(さらにはネイティブと非ネイティブの境界も)
あくまで論理的な仮構物でしかなくて、
現実に存在している日本語のネイティブはみんな
多かれ少なかれ偏りをもった極端な例でしかない

ということになるのではないでしょうか。
僕たちが質問をする外国語のネイティブはみんな、
多かれ少なかれ新潟県人的な偏りを持っているはず
なのです。


◆ ネイティブがなんぼのもんじゃい
“ネイティブの意見”が孕(はら)むもっとも危険な性質は、
「何万人、何億人といるネイティブのうちのたった一人の意見でしかないのに、
 “ネイティブだから”という理由だけで
 あたかも正解であるかのように見えてしまう」
という点にあります。
“ネイティブの意見”と“言語に関する正確な意見”は
はっきりと分けて考えるべき
です。

たとえば、
「私はネイティブです」と
「私がネイティブです」の
「は」と「が」の違いを正確に説明できる日本人が
いったい何人いるでしょうか。
(僕は出来ませんとも、もちろん)
ところでここに、
日本語の勉強をしている外国人
(ちょうど「は」と「が」の違いを勉強したばかりの人)
がいたとしたらどうでしょうか。
とうぜん、日本語のネイティブの僕よりも
正確な意見を披露してくれるはずです。
ネイティブだからと言って
その言語に関して正確な意見を持っているとは限りません。
使うことと説明することは別なのです。
そして、通常無意識のうちに
言語のルールを身につけているネイティブよりも、
その言語を知識として勉強した外国人のほうが、
説明することにかけては上手(うわて)、という例が
案外あるのではないかと思うのです。

“言語に関する正確な意見”を第一に考えるなら、
ネイティブ信仰は捨てるべき
だと僕は思います。
(もちろん、ネイティブの意見は信用できない、というわけではありません)


◆ 日本語のバリエーションとネイティブ
ネイティブの意見をただちに信用するわけには行かない、
というのは、
僕たち日本語のネイティブについても当てはまるはず
です。

たとえば外国人が書いた日本語の文章
こういった文章を見ると、つい僕たち日本語のネイティブは、
外国人が書いた文章だから日本語として変な表現があるかもしれないぞ、
とか、
変な表現は直してやらなくちゃな、
などと考えがちではないでしょうか。
あなたがいま想定した“正しい日本語の表現”は本当に正しいのでしょうか。
あなたと外国人を隔てる境界線は、ほんとうに信用できるものなのでしょうか。

ネイティブが正しいとは限りません。
そして、外国人が書いた“変な表現”を切り捨てるべき理由は、
じつはどこにも無いと僕は思うのです。
それはあくまで、
日本語のバリエーションの一つとして捉えられるべきです。
言葉を喋(しゃべ)るようになったばかりの子供、
“訛(なま)った”しゃべり方をする地方の人、
そして、僕やあなたが多かれ少なかれ持っているはずの偏りと、
じつはまったく同じものであるはずなのです。


◆ 自分の訳文に責任を持つために
最後にもう一つだけ。
僕たちが質問をした外国語のネイティブが、
わざわざ調べものをしたうえで、
“言語に関する正確な意見”を答えてくれることがあるかも知れません。
それはそれで非常に貴重な意見ですし、
大変ありがたいことだとも思うのですが、
それでもやはり、僕はその意見を信用することはできません。
なぜなら自分で調べていないから。
自分の訳文に自分で責任を持つためには、
やはりどうしても、
自分の目で確かめる必要が出てきてしまいます。
厳密に言うならば、
その時々に応じて必要なネイティブ像というのを自分で想定して、
それに似合うような調査をしなければならない

ということになるでしょう。
調査はあくまで自分でやるものです。




――誰かに宛てた私信のような文章になっていますが、
それは説明の便宜のためです。
特に想定している人はいません。
あと、いちおう念のために断っておきたいのですが、
新潟県人が変だとかそういうことを言いたいわけではありませんので
あしからず。
(僕の知人の新潟県人は確実に変なヤツなんですけど)
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by moebius-labyrinth | 2006-11-30 06:06
目次:メビウス、『メトロポリス』を語る
インタビュー記事「メビウス、『メトロポリス』を語る」の
関連記事のインデックスです。


◆ インタビュー本編
メビウス、『メトロポリス』を語る:その1
メビウス、『メトロポリス』を語る:その2


◆ 訳注
訳注『メトロポリス』:『I Can't Stop Loving You』
訳注『メトロポリス』:「大量破壊のトラウマ」
訳注『メトロポリス』:『文明の衝突』『ジャングル・ブック』の引用とメビウスの日本論 - その1
訳注『メトロポリス』:『文明の衝突』『ジャングル・ブック』の引用とメビウスの日本論 - その2
訳注『メトロポリス』:落書きとサウンド・トラック
訳注『メトロポリス』:ティマが部屋の壁一面に愛する人の名前を書く場面
訳注『メトロポリス』:アトラスとユゴーのガヴローシュ
訳注『メトロポリス』:ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』
訳注『メトロポリス』:バベルの神話
訳注『メトロポリス』:チェ・ゲバラ
訳注『メトロポリス』:フリッツ・ラングの『メトロポリス』


◆ 補足資料
補足資料『メトロポリス』:作中時間表
補足資料『メトロポリス』:ZONE-1の地図


◆ 総括
総括『メトロポリス』:出典の詮索と作品の可能性


◆ 訂正・追加
訂正『メトロポリス』:マンハッタンにもオベリスクはあった
追加『メトロポリス』:メトロポリスはクリミアにある


その他、準備稿としていくつかの下訳がありますが、
上記の完成稿を参照していただけると助かります。
(できればリンクも張り直していただけると非常に助かります)
誤訳を直した箇所がいくつもあります。


《追記》
● 「アクエリアス・シー」
  *『メトロポリス』のファン・サイトです。
● 同上内「TRAVEL({アトリエ・ナクラ 談義あれこれ})」
  *『メトロポリス』の製作に参加した名倉靖博氏との談話が
  レポートされています。
  イタリアへ取材旅行に行っている等、製作側からも、
  『メトロポリス』の街並みに複数の街のイメージが重ね合わされている
  ことを確認することができます。
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by moebius-labyrinth | 2006-11-15 22:50 | メビウスの子孫たち
メビウス、『メトロポリス』を語る:その1
フランスのアニメ専門誌「AnimeLand」の公式サイトで公開されていた、
メビウスの『メトロポリス』評の訳です。
この記事にはインタビューの前半が収められています。
当サイトの訪問者真さんから提供していただいた資料です。
ありがとうございました。

かなり長い記事になってしまったので、
他の関連記事については以下のインデックスを参照してください。
目次:メビウス、『メトロポリス』を語る


◆ 基本的な情報
『メトロポリス』は2001年に公開された
りんたろう監督のアニメ映画です。
大友克洋もスタッフとして参加しています。
● ウィキペディア日内「メトロポリス (漫画)」
● 『メトロポリス』公式サイト
● アマゾン日内『メトロポリス』
● フランス版『メトロポリス』公式サイト
  *サイトの中が一種のゲーム仕立てになっています。
  とりあえず「PLEIN ÉCRAN→CLIQUEZ ICI(右下)」と進んでください。
  あとは画像のなかの色々な物をクリックで各コーナーに移ります。
  画面左上の「QUITTER」で最初のページに戻ることが出来ます。
  色々なアイテムを集めてティマを覚醒させ、
  懸賞ゲームに参加することがサイトの目的になっているようです。
  腕時計、Tシャツ、そしてなんと、オリジナル・フィルムが当たる、
  などと書いてあるのですが、さすがに解説は割愛します。
● 「手塚治虫のすべて」内「年代別>1949年>メトロポリス<大都会>」
  *手塚治虫の原作『メトロポリス』に関して
  各版の情報がまとめられています。
  初版は1949年09月15日に
  育英出版から書き下ろし単行本として刊行された、とあります。
● 「Yahoo!コミック」内「メトロポリス」
  *最初の数ページを試し読みすることが出来ます。要IE。
● アマゾン日内「メトロポリス 角川文庫」
  *この版がもっとも入手しやすいのではないかと思います。
● 同上内「手塚治虫初期傑作集 (2)」
  *僕はこの書籍に収録されているものを参照しました。
  映画のクレジットで挙げられているのもこの版です。
● 「AnimeLand.com」
  *フランスの日本アニメ専門サイト。
  残念ながら当該ページはすでに削除されています。


◆ インタビュー対訳:前半
Moebius parle de Métropolis
メビウス、『メトロポリス』を語る

Jean GIRAUD, dit MOEBIUS,
est certainement l'un des auteurs fondamentaux
de la bande dessinée moderne française.
Sous son nom, il aura dessiné la vie du fameux Lieutenant Blueberry,
entre autres créations.
Sous son pseudo,
on le connaît pour la saga de L'Incal
et bien d'autres titres de science fiction.
MOEBIUS a eu l'occasion de rencontrer TEZUKA et OTOMO,
et ne cache pas son admiration pour le manga et l'animation japonaise.
Il fut l'un des premiers à prêcher
pour une découverte de l'anime tiré de Akira.
ジャン・ジロー・メビウスは、
現代フランスのバンド・デシネ界の重鎮の一人だ。
本名でもあるジャン・ジロー名義で
あの「ブルーベリー」シリーズを描いていることは、
すでにみなさんご存知のとおりだろう。
主人公ブルーベリー中尉の生涯を中心に数々の傑作が描かれている。
もう一つのペンネームであるメビウス名義では、
「ランカル」シリーズをはじめとしたSF作品でつとに有名である。
メビウスはまた、日本のアニメや「漫画」の熱心なファンでもある。
手塚治虫や大友克洋とも会見を開いているくらいだ。
『AKIRA』をはじめてとして、
ヨーロッパに日本のアニメを紹介して来た先達の一人でもある。
 *「ブルーベリー」「ランカル」はメビウスの代表作です。
 くわしくは以下の記事を参照してください。
 [「Blueberry」(ブルーベリー)シリーズ解説
 [「L'Incal」(ランカル)シリーズ解説
 *メビウスと手塚治虫、大友克洋との関係については
 以下の記事を参照してください。
 [メビウス&大友克洋対談記事:「OTOMOEBIUS」1
 [手塚治虫とメビウス:82年の邂逅

AnimeLand:
Quel est votre sentiment par rapport au Métropolis de RINTARO ?
アニメランド:
りんたろう監督の『メトロポリス』をご覧になって、
どうお感じになられましたか?

MOEBIUS:
Avant tout, pour moi, c’est vraiment un film d’amour.
Tout ce qui est autour de ce film relève de l’amour
et on en ressort avec une impression de beauté,
une beauté secrétée non seulement par les auteurs,
mais aussi par une expression nationale, très asiatique.
Par rapport à tout, aux personnages comme au reste.
Au fond, on voit bien le traumatisme de la destruction de masse,
on comprend tout de suite la référence,
mais cette destruction n’est pas négative, nihiliste.
On voit cela en plus chez TEZUKA,
lorsqu’il introduit toute la problématique du Moderne,
quand il appelle l’Histoire, originelle.
Tout ça pour dire que c’est beau !
Métropolis est un film d’une beauté sans faille.
Il y a une accumulation de tout ce qu’on aime dans une histoire.
Et puis il y a une telle foi dans l’Histoire,
et tout ça s’assemble avec grâce.
Comme l’arrivée de la chanson finale « I can’t stop loving you »,
c’est sublime !
メビウス:
“愛”ですね。『メトロポリス』はまず何よりも愛の物語です。
そしてそこには一種の“美”がある。
登場人物やその他のすべてのものに美が宿っています。
ああいう美意識というのは、たんに作者の資質だけではなくて、
お国柄のようなものもあるんでしょうね。
すごく東洋的なものを感じました。
あと、この作品には、
日本の敗戦の影響が出ているんじゃないかと思います。
第二次世界大戦で受けた大量破壊の癒えない爪痕がね。
でもその破壊は決してネガティブなものじゃない、
ニヒリスティックなものなんだ。
手塚治虫の作品はさらにその傾向が強い。
手塚さんは、現代が抱える諸問題を糾弾し、
真の意味での物語を取り戻そうとしている。
すべてのものが美に通ずるのだとね。
『メトロポリス』はとても洗練されたかたちで美を表現しています。
観客の嗜好をちゃんと押さえたうえで、
真の物語への信条を歌い上げてある。
エンディング・テーマの『I can't stop loving you』が始まるあの一瞬!
この世のものとは思えないよ。
 *『I can't stop loving you』と
 「le traumatisme de la destruction de masse」
 (大量破壊のトラウマ)については、以下の記事を参照してください。
 [訳注『メトロポリス』:『I Can't Stop Loving You』
 [訳注『メトロポリス』:「大量破壊のトラウマ」
 *フランス語の「histoire」は
 「物語」と「歴史」という二つの意味を持ちます。
 英語の「history」と「story」に相当する語なのですが、
 原文中の「 l’Histoire」(大文字の「物語/歴史」)は、
 ここでは「物語」という意味で使われているのではないかと思います。
 大量破壊のトラウマを美として昇華するような、特別な意味を持った物語、
 というほどの意味だと思うのですが、
 この語の解釈については今ひとつ自信がありません。
 インタビューの他の箇所では、
 「l’Histoire」は「歴史」という意味で使われていると思います。

AL:
Comment pensez-vous
que le film Métropolis va être reçu par le public français ?
アニメランド:
『メトロポリス』はフランスでもヒットすると思いますか?

M:
Ce que je vois, c’est que, en France,
on risque d’avoir des réactions d’enthousiasme et de rejet
comparables à ce que l’on a connu avec Akira.
Je me rappelle qu’à la projection d’Akira,
à la suite d’un festival,
les gens étaient pour une part en colère
tandis que d’autres manifestaient leur plaisir,
car tous avaient été déstabilisés par le film.
C’est aujourd’hui un film culte.
De la même manière
beaucoup de gens risquent d’être trompés
par le design des personnages,
qui reprend le trait de TEZUKA.
On pourrait croire que Métropolis relève,
par ce dessin faussement naïf de personnages à l’aspect enfantin,
d’un film pour enfant, or il n’en est rien.
Métropolis est un film grand public
et l’utilisation volontaire de ces design de personnages
sert surtout à augmenter la sympathie que l’on éprouve pour eux.
C’est vraiment voulu pour
que ça rentre directement dans le cœur des gens.
Et le cœur, c’est aussi le fin mot du film.
メビウス:
そこなんですよね。
フランスでは評価が分かれてしまうかも知れません。
熱狂的に受け容れる人もいれば拒絶する人もいるでしょう。
『AKIRA』の時もそうでした。
とあるイベントで『AKIRA』を上映したときにも、
観客の評価はまっぷたつに分かれてしまいました。
怒り出す人もいれば賞賛する人もいました。
でも、いずれにしろ観客の心が動かされたことは確かなんです。
いまや『AKIRA』は確固たる地位を築いているでしょう?
それと同じように、今回は、
手塚治虫風のキャラクター・デザインが鍵になるでしょうね。
手塚さんのキャラは一見すると子供向けっぽいところがあるから、
『メトロポリス』も子供向けの映画だと思われてしまうかも知れません。
でも本当は違う。
『メトロポリス』はあくまで一般向けの映画です。
手塚風のデザインを踏襲しているからこそ、
観客がキャラクターに感情移入しやすくなっているし、
だからこそ、キャラクターが観客の心にじかに届くのです。
「心」、それこそがこの映画のテーマじゃないですか?
 *『AKIRA』がフランスで公開された当初の評判について、
 参考になりそうな情報は見つけることが出来ませんでした。
 ● 「IMDb」内「Akira (1988)>release dates」
 上記のページによると、日本公開は1988年、フランス公開は1991年です。
 ● ウィキペディア仏内「Akira (anime)」
 上記のページに以下のようにあります。
Le public américain puis français a ainsi pu découvrir
un film d'animation vraiment adulte,[後略]
アメリカとフランスの観衆は、
アニメ映画が大人の鑑賞に充分堪えうることを教えられた。

 [メビウス&大友克洋対談記事:「OTOMOEBIUS」1
 上記のインタビューのなかで、
 『AKIRA』のヨーロッパでの評価についてメビウスが語る箇所があります。

AL: Les principaux ambassadeurs de l’amour, dans Métropolis,
sont aussi ceux qui n’en ressentent pas, à savoir les robots.
アニメランド:
さきほど“愛”とおっしゃいましたが、
この作品で愛を教えてくれるのは、じつは愛を知らないものたちですよね。
ロボットですから。

M:
C’est tout à fait clair.
Les obstacles que l’on met à leur accession au bonheur
fait qu’ils rentrent dans une rage destructrice
qui est tout à fait à l’image de la destinée des humains,
on retrouve le même schéma.
Comme c’est surmultiplié par la surpuissance technologique,
ce processus psychique du refus de l’amour
qui débouche sur le désir de destruction
prend des proportions tout à fait spectaculaires.
Comme, à contrario,
c’est pourtant l’amour qui empêche la destruction totale.
Je trouve qu’il n’y a pas beaucoup de films
qui débouchent sur une thématique aussi essentielle,
aussi enthousiasmante de profondeur.
メビウス:
そうだね。
この作品のなかで人々が幸福を手に入れられないでいるのは、
愛を拒絶してしまっているからなんだ。
そしてそれが破滅を招いている。
それはまるで人類全体の運命を物語っているかのようだ。
しかも発達しすぎた科学のために箍(たが)が外れてしまっているから、
愛を知らない人々の破壊衝動は止まるところを知らない。
最後には大規模な破滅を招いてしまった。
しかし一方で、世界を滅亡から救ったのもまた愛なんだ。
これほど深く、かつ面白く仕上がった映画はそうはないと思うよ。

AL:
Métropolis est pourtant issu d’un manga de TEZUKA
datant des années 50, mais les thèmes restent universels ?
アニメランド:
『メトロポリス』は手塚治虫の「漫画」が原作になっていますよね。
50年も前の作品なのに、
そのテーマは未だに生きているということなのですか?

M:
Le miracle également c’est ce fond de complicité
qui s’établi à travers plusieurs générations,
entre TEZUKA, OTOMO, et RINTARO.
Tout ces gens là se comprennent, se « touchent ».
On retrouve cette propension chez tous les grands artistes.
MIYAZAKI, lui, c’est l’apocalypse du passé, ici,
c’est la façon
dont TEZUKA et surtout OTOMO, montrent comment le futur s’effondre
qui est intéressante.
C’est une poésie de l’effondrement.
Et avec, en plus,
une prise de conscience des auteurs eux-mêmes
de la qualité, de la force de ces thèmes.
On sent bien qu’ils se sont rendus compte
qu’ils avaient un matériau unique, extraordinaire, entre les mains
avec le manga de TEZUKA.
C’est pour cela que ce film est « habité »
de la première image à la dernière.
メビウス:
もちろん。
しかも、手塚治虫、大友克洋、りんたろう、という
いつくもの世代を越えて一つの作品が出来上がっているわけだから、
これは本当に凄いことだと思うよ。
この三人の偉大なアーティストには明らかに共通するものがある。
破滅の美学だ。
そのことは彼ら自身も自覚しているんだと思う。
たとえば宮崎駿は、
滅亡を描くとしても、過去に起こったこととして描くだろう?
でも手塚治虫や、とくに大友克洋は、
未来に破滅の予兆を観るんだ。
この違いは興味深いよね。
さらにこの映画の制作者たちは、
自分たちが共有しているこのテーマの質や力を熟知している。
手塚治虫のこの原作、自分たちは特別な素材を手に入れたんだという自信、
それが観ている側にも伝わってくるよね。
だからこそこの映画は、
徹頭徹尾とくべつなものに仕上がっているんだと思うよ。




目次:メビウス、『メトロポリス』を語る
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by moebius-labyrinth | 2006-11-15 22:40 | メビウスの子孫たち
メビウス、『メトロポリス』を語る:その2
フランスのアニメ専門誌「AnimeLand」の公式サイトで公開されていた、
メビウスの『メトロポリス』評の訳です。
この記事にはインタビューの後半が収められています。

かなり長い記事になってしまったので、
他の関連記事については以下のインデックスを参照してください。
目次:メビウス、『メトロポリス』を語る


◆ インタビュー対訳:後半
AL:
Pour ainsi dire,
c’est un peu aussi la dream-team de l’animation japonaise
que l’on retrouve au générique de ce film,
et avec, pour tous, un même esprit humaniste dans leurs créations.
アニメランド:
映画のクレジットタイトルを観てみると、
これは本当に日本のアニメのドリームチームですよね。
しかも、どの作家の作品にもおなじヒューマニズムの血が流れている。

M: Oui,
c’est pour cela
que je pense que ça n'est pas le film d’un seul auteur,
ou même d’un groupe d’auteurs,
mais plutôt le film du Japon, d’un peuple,
qui est rentré dans la modernité
par une voie que l’on ne connaît pas, dont on a pas idée.
Il y a un livre, qui s’appelle Le choc des civilisations,
qui est le résultat d’une recherche approfondie
qu’on trouve dans la tradition anglo-saxonne,
qui consiste à essayer de décoder l’Histoire du monde,
à apposer des grilles de perceptions
qui ne soient pas « nationales » mais « extra-terrienne ».
A ce niveau,
les Japonais sont un peu les Anglais du troisième millénaire.
Et cela se voit dans leurs créations.
Ils ont expérimenté ce que seront les problèmes de la planète,
car d’une certaine manière la Terre est une île,
entourée du vide sidéral,
qui est une mer beaucoup plus difficile à traverser qu’un océan.
On est dans un ordre croissant
d’isolement et de difficulté qui est phénoménal.
Quelque part, dans cette perspective des civilisations,
on voit que ce qu’on appelle la civilisation occidentale
(même si on est toujours les occidentaux de quelqu’un)
a ouvert la boite de Pandore du développement technologique et laïque,
et toutes les autres civilisations de la planète sont
confrontées à ce problème que nous avons créé.
C’est ça qui est troublant et excitant quand on observe,
non pas le Japon, mais le regard que pose le Japon sur le monde,
surtout à travers des auteurs populaires.
Ils portent sur le monde un vrai regard,
ils s’approprient l’Histoire du monde
comme quelque chose que l’on peut légitimement explorer.
Chose que les autres civilisations n’ont pas expérimenté.
On n’a pas encore vu d’histoire
par exemple qui serait racontée par l’Islam
et qui prendrait des blancs comme vecteur d’humanité.
Nous on peut faire cela,
comme KIPLING l’a fait avec le Livre de la Jungle,
et raconter une histoire avec un indien dans une forêt
qui devient un mythe fondamental et mondial.
Les Japonais n’ont, de fait, aucun complexe,
ils prennent cette attitude,
qu’ils considèrent comme une attitude de maître de Jeu
et ils la jouent sans la moindre peur, sans complexe.
Ce qui leur permet de faire des histoires de mousquetaires,
avec un sens du détail très approximatif, une fantaisie certaine,
mais en tout cas un sens de l’universalité confondant.
On retrouve cette même démarche
dans la façon d’aborder les thèmes de Métropolis.
メビウス:
そう。でも単にチームというだけじゃないよ。
僕は、この作品には、
西洋人が思いも付かないやり方で近代化を果たした
日本という国や人々の姿が刻印されていると思っているんだ。
特定の作家には還元できない何かがある。
『文明の衝突』という本は読んだ?
いかにもアングロ・サクソンらしい詳細な調査に基づいて、
世界の歴史を分析しようとしているものだ。
“国家”という枠組みをはなれて、
“超地球的”な視野から世界を読み解こうとしているこの本に従うなら、
日本人はさながら、新世紀のイギリス人の観を呈していると思うんだ。
当然、彼らの作品にもそういった性質が反映している。
地球というのは、いわば虚空に浮かぶ一つの島のようなものだろう?
他の星々とのあいだには、
行く手を阻む大海原という名の宇宙が横たわっている。
そういう意味では、島国日本は、
世界がこれから直面する問題をすでに経験してしまっている国とも言える。
世界は孤立化が進んでいる。
どうしようもない困難も増すばかりだ。
『文明の衝突』のなかで、
西欧文明
(もっとも、どこを基準に「西」と言うかによるけれど)
が技術の発達と世俗主義というパンドラの箱を空けてしまって以来、
世界中の他の文明のすべてが、
我々西洋人の引き起こしたこの問題に直面するようになってしまった、
という一節があっただろう?
日本という国を世界とのかかわりのなかで観察してみると、
このことがよく分かるよ。
とくにサブカルチャーの作家を通して観てみるとね。
とても興味深くて、なおかつ厄介な問題だ。
日本人は透徹した目で世界を観ている。
世界の歴史を一国で体現している国でもある。
だから、日本を分析することは、世界の歴史を分析することでもあるんだ。
他の文明ではこうは行かない。
たとえばイスラム文明からは、
白人にヒューマニズムを教えてもらう、
なんて物語は生まれて来ていないよね。
西洋にはキプリングの『ジャングル・ブック』がある。
森に住むインド人の物語で、
人間の本質を描き出した、普遍的なお話に仕上がっている。
思うに、日本人には一切の気負いというものが無いんだと思う。
達観とでも言うのかな、
とにかく少しのためらいも無く軽やかに遊んでみせる感性。
そういう姿勢を持っているから、
日本人は、たとえば戦争を描くときなんかも、
細部の詰めがおそろしく大雑把で現実離れしているにもかかわらず、
おどろくほど普遍性をもった作品を描き得てしまうんだと思う。
『メトロポリス』のテーマの扱い方にも同じことが言えるよね。
 *『文明の衝突』と『ジャングル・ブック』については、
 以下の記事を参照してください。
 [訳注『メトロポリス』:『文明の衝突』『ジャングル・ブック』...
 (の引用とメビウスの日本論 - その1)
 *「anglo-saxonne」(アングロ・サクソン)は、
 イギリスやアメリカの文化を指す語です。
 欧米の文化はおおまかに、
 大陸系(フランスなど。理論を重んずる合理主義の文化)と
 イギリス系(アメリカも含む。実践を重んずる経験主義の文化)の
 二つに分けられることがあります。
 『文明の衝突』は多くの具体的な調査にもとづいた本なので、
 こう言われているのでしょう。

AL:
Il faut dire aussi
que la particularité des manga est
de se pencher beaucoup sur les personnages et leurs psychologies.
アニメランド:
キャラクターや心理描写を重視するのも、
日本の「漫画」の特徴なんじゃないでしょうか。

M:
Oui mais pour en arriver là,
cela dénote une libération pour être à même de considérer
que rien de ce qui est humain ne nous est étranger,
peu importe les critères de civilisation,
la morale, les religions, les couleurs de peaux.
Et cela c’est vraiment la leçon de ces peuples.
メビウス:
そうだね。でもそれを言うなら、
僕たちだって、ヒューマニズムを学ぶべき立場なのかも知れない。
文明の違いだとか、モラルの違い、
宗教や、肌の色の違いなんて関係ないんだよね。
そういったことは、僕たちが日本人から学ぶべきことなんだ。

AL:
Au niveau des références du film,
il y a un véritable jeu permanent tournant au jeu de piste
par rapport à
tout ce que l’on peut voir d’écrit sur les murs de Métropolis.
アニメランド:
この映画にはいろいろと出典があるようですが、
街の壁に落書きがしてあったり、
サウンド・トラックにお遊びがあったりと、
いろいろと面白い試みがなされているようですね。
 *落書きとサウンド・トラックについては、
 以下の記事を参照してください。
 [訳注『メトロポリス』:落書きとサウンド・トラック

M:
Oui, d’ailleurs
dans une des phases de la découverte de son expression par Tima,
elle écrit le nom de son aimé sur tous les murs de sa chambre.
Ca veut dire
que l’écriture, le hiéroglyphe manifesté est
porteur du fond d’elle même.
Il y a une allusion également à Victor HUGO
et au personnage de Gavroche avec le personnage d’Atlas,
chef de la révolution.
On voit le tableau de DELACROIX,
« La Liberté guidant le Peuple » à un moment dans le film.
Rendez vous compte quelle connaissance,
et quelle générosité il y a,
dans l’acceptation que d’autres aient pu lancer
au monde des symboles valables.
Comment aussi
les Japonais ont ils « osé » s’emparer du mythe de BABEL ?
C’est magnifique d’avoir osé ça !
Comme on retrouve aussi l’image du Che Guevara en divers endroits.
On voit bien que Métropolis, c’est une leçon aussi.
C’est une très grande leçon pour nous occidentaux
de voir comme ça paie d’ouvrir son regard
sur une perception planétaire.
Enfin !
メビウス:
そうそう。
ティマが、自分の気持ちを表わそうとして、
自分の部屋の壁一面に愛する人の名前を書く場面もあったよね。
書かれた文字が彼女の内面そのものを表わしているんだろう。
革命の主導者のアトラスが、
ヴィクトル・ユゴーのガヴローシュを思わせる場面もあった。
ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』が出てくる場面もあったよね。
こういったシンボルにちゃんとした意味を読み取れるかどうか、
観る側の豊かな教養が期待されているんだと思うよ。
それにしても、まさか日本人が、
バベルの神話を我が物にしてしまうとはね!
すばらしい。
チェ・ゲバラのイメージも何回か出て来ていたな。
もちろんフリッツ・ラングの『メトロポリス』も意識しているはずだ。
ラングの『メトロポリス』が1927年、
日本の『メトロポリス』が2001年だから、
人々が世界的な視野を得るのにこんなにも長い時間がかかったことになる。
このことからも、僕たち西欧人は多くのことを学ぶべきだと思うね。
 *ここで挙げられている「出典」(des références)については、
 以下の記事を参照してください。
 [訳注『メトロポリス』:ティマが部屋の壁一面に愛する人の名前を...
 [訳注『メトロポリス』:アトラスとユゴーのガヴローシュ
 [訳注『メトロポリス』:ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』
 [訳注『メトロポリス』:バベルの神話
 [訳注『メトロポリス』:チェ・ゲバラ
 [訳注『メトロポリス』:フリッツ・ラングの『メトロポリス』




目次:メビウス、『メトロポリス』を語る
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by moebius-labyrinth | 2006-11-15 22:30 | メビウスの子孫たち
訳注『メトロポリス』:『I Can't Stop Loving You』
「メビウス、『メトロポリス』を語る」の訳注です。
他の関連記事については以下のインデックスを参照してください。
目次:メビウス、『メトロポリス』を語る


◆ 『I Can't Stop Loving You』
『I Can't Stop Loving You』は、
アメリカの有名なソウル歌手レイ・チャールズが
1962年にヒットさせた曲です。
● ウィキペディア米内「I Can't Stop Loving You」
  *オリジナルは
  ドン・ギブソン(Don Gibson)が1957年に発表したものです。
  レイ・チャールズはこれをカバーしたものです。
● ウィキペディア日内「レイ・チャールズ」
● ウィキペディア米内「Ray Charles」
● レイ・チャールズ公式サイト(英語)

以下のサイトで歌詞を参照することが出来ます。
● 「うたまっぷ」内『I CAN'T STOP LOVING YOU』
歌詞なので多くは語られていませんが、
決してハッピーエンドの内容ではないということは
押さえておいて良いかもしれません。
「But time has stood still since we've been apart」
(君と別れてから、時は止まったままなのに)
とあるので、むしろ、
愛する人と別れた人の心情を歌ったものだと思います。
それでも
「君を愛することを止められない」(I Can't Stop Loving You)
というわけです。
「だから、君と出会う前まだ一人だった頃の寂しさを抱えて、
 これからは生きて行かなきゃならないんだ」
(So I've made up my mind To live in memories of old lonesome time)
というのが、歌詞のおおまかな内容です。
I Can't Stop Loving You
So I've made up my mind
To live in memories
of old lonesome times
I Can't Stop wanting you
It's useless to say
So I'll just live my life
in dreams of yesterday
君を愛することを止められない。
だから、君と出会う前の寂しさを抱えて、
これからは生きて行かなきゃならないんだ。
君が欲しくてたまらない。
そんなこと言ったって無駄だから、
僕はこれから、あの時の夢のままに
生きて行くことにするよ。

Those happy hours
that we once knew
Though long ago
still make me blue
They say that time
heals a broken heart
But time has stood still
since we've been apart
君と出会ったころの、
あの幸せな思い出。
もうこんなに経つんだね。
まだ悲しみは癒えないのに。
あのころの思い出が、
心の傷を癒してくれるさ、って?
君と別れてから、
時は止まったままなのにね。

ケンイチがティマを助けようと必死になっている場面で、
BGMによって既に、
ケンイチがティマを失うことが予告されているわけです。
この選曲は確かに、
メビウスが「sublime」(崇高だ!)と言うだけのことはあると思います。
なお、以下の記事の『St. James Infirmary』も参照してください。
訳注『メトロポリス』:落書きとサウンド・トラック




目次:メビウス、『メトロポリス』を語る
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by moebius-labyrinth | 2006-11-15 22:20 | メビウスの子孫たち
訳注『メトロポリス』:「大量破壊のトラウマ」
「メビウス、『メトロポリス』を語る」の訳注です。
他の関連記事については以下のインデックスを参照してください。
目次:メビウス、『メトロポリス』を語る


◆ 「大量破壊のトラウマ」
「le traumatisme de la destruction de masse」
(大量破壊のトラウマ)は、
第二次世界大戦の日本の敗戦を指しているのでしょう。
● 「La Septieme Ombre」内「Debat>Manga et animation japonaise : une vision du monde」
2003年にフランスで開かれたディベートの記録ページです。
第二次世界大戦(la seconde Guerre mondiale)で日本が受けた
大量破壊(une destruction de masse)が「漫画」に与えた影響について、
「Le traumatisme de la guerre」(戦争のトラウマ)という題で
討議されています。
具体的には、「広島の原爆」(l’explosion atomique d’Hiroshima)と
『はだしのゲン』(Gen d’Hiroshima)などが挙げられています。

第二次世界大戦の敗戦の影響というのは、
欧米の人が日本の「漫画」の歴史を語るばあいに
必ずと言ってよいほど出される話題です。
個人的には、
『メトロポリス』から敗戦のイメージなんて全く連想しないのですが、
欧米の人が観るとそういう解釈になるのでしょう。




目次:メビウス、『メトロポリス』を語る
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by moebius-labyrinth | 2006-11-15 22:10 | メビウスの子孫たち
訳注:『メトロポリス』での『文明の衝突』『ジャングル・ブック』の引用とメビウスの日本論 - その1
「メビウス、『メトロポリス』を語る」の訳注です。
他の関連記事については以下のインデックスを参照してください。
目次:メビウス、『メトロポリス』を語る


この記事では、
「メビウス、『メトロポリス』を語る」での
『文明の衝突』『ジャングル・ブック』の引用と、
メビウスの日本論について検討します。
後半の以下の記事に続きます。
訳注『メトロポリス』:『文明の衝突』『ジャングル・ブック』の引用とメビウスの日本論 - その2

率直に言って、引用は結構いい加減で、
メビウスの日本論も凡庸なものだと思います。

以下のプログラムに従います。
(項目のクリックで該当箇所に飛びます)

 0 インタビューの原文

 1 『文明の衝突』とメビウスの日本論
  1-1 『文明の衝突』についての基本的な情報
  1-2 『文明の衝突』の内容
  1-3 『文明の衝突』を引用している箇所
  1-4 メビウスの日本論

 2 『ジャングル・ブック』と白人至上主義・人間中心主義
  2-1 『ジャングル・ブック』についての基本的な情報と内容
  2-2 『ジャングル・ブック』を引用している箇所
  2-3 白人至上主義・人間中心主義

 3 総括


◆ 0 インタビューの原文
インタビューの当該箇所を原文で挙げておきます。

M:
Oui,
c’est pour cela
que je pense que ça n'est pas le film d’un seul auteur,
ou même d’un groupe d’auteurs,
mais plutôt le film du Japon, d’un peuple,
qui est rentré dans la modernité
par une voie que l’on ne connaît pas, dont on a pas idée.
Il y a un livre, qui s’appelle Le choc des civilisations,
qui est le résultat d’une recherche approfondie
qu’on trouve dans la tradition anglo-saxonne,
qui consiste à essayer de décoder l’Histoire du monde,
à apposer des grilles de perceptions
qui ne soient pas « nationales » mais « extra-terrienne ».
A ce niveau,
les Japonais sont un peu les Anglais du troisième millénaire.
Et cela se voit dans leurs créations.
Ils ont expérimenté ce que seront les problèmes de la planète,
car d’une certaine manière la Terre est une île,
entourée du vide sidéral,
qui est une mer beaucoup plus difficile à traverser qu’un océan.
On est dans un ordre croissant
d’isolement et de difficulté qui est phénoménal.
Quelque part, dans cette perspective des civilisations,
on voit que ce qu’on appelle la civilisation occidentale
(même si on est toujours les occidentaux de quelqu’un)
a ouvert la boite de Pandore du développement technologique et laïque,
et toutes les autres civilisations de la planète sont
confrontées à ce problème que nous avons créé.
C’est ça qui est troublant et excitant quand on observe,
non pas le Japon, mais le regard que pose le Japon sur le monde,
surtout à travers des auteurs populaires.
Ils portent sur le monde un vrai regard,
ils s’approprient l’Histoire du monde
comme quelque chose que l’on peut légitimement explorer.
Chose que les autres civilisations n’ont pas expérimenté.
On n’a pas encore vu d’histoire
par exemple qui serait racontée par l’Islam
et qui prendrait des blancs comme vecteur d’humanité.
Nous on peut faire cela,
comme KIPLING l’a fait avec le Livre de la Jungle,
et raconter une histoire avec un indien dans une forêt
qui devient un mythe fondamental et mondial.
Les Japonais n’ont, de fait, aucun complexe,
ils prennent cette attitude,
qu’ils considèrent comme une attitude de maître de Jeu
et ils la jouent sans la moindre peur, sans complexe.
Ce qui leur permet de faire des histoires de mousquetaires,
avec un sens du détail très approximatif, une fantaisie certaine,
mais en tout cas un sens de l’universalité confondant.
On retrouve cette même démarche
dans la façon d’aborder les thèmes de Métropolis.


◆ 1 『文明の衝突』とメビウスの日本論

 ◆ 1-1 『文明の衝突』についての基本的な情報
『文明の衝突』
(THE CLASH OF CIVILIZATIONS AND THE REMAKING OF WORLD ORDER)
は、1996年にアメリカで発表された政治学書です。
今後の世界情勢を占う書として非常に注目された本です。
● ウィキペディア日内「文明の衝突」
フランス語版は『Le Choc des civilisations』
(「THE CLASH OF CIVILIZATIONS」の直訳)の題で
1997年に発行されています。
● 出版社Odile Jacob社公式サイト内『Le Choc des civilisations』のページ
● アマゾン仏内『Le Choc des civilisations』のページ
メビウスは英語も読めるので、英語の原書を読んでいるかも知れません。
● アマゾン日内『The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order』のページ
 *「なか見!検索」(本の内容を検索できるサービス)が
 適用されているので、原書の内容を部分的に確認するのに非常に便利です。
● アマゾン日内『The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order (ハードカバー) 』のページ
 *僕が参照したのはこちらの版です。
 「なか見!検索」は上記のペイパーバック版に飛びます。

僕は日本語版(鈴木主税訳)と英語の原書を参照しました。
残念ながらフランス語版は参照するに至っていません。
● アマゾン日内『文明の衝突』のページ

なお、インタビューは2002年に行われたのではないかと思います。
『メトロポリス』の日本公開は2001年、
フランスでの公開とDVDの発売は2002年です。
● ウィキペディア日内「メトロポリス」
● ウィキペディア仏内「Metropolis」
● アマゾン仏内『Metropolis』DVDのページ

 ◆ 1-2 『文明の衝突』の内容
まずは『文明の衝突』の内容を確認しておきましょう。
ひとことで要約するなら、
“今後、世界の国々は文明ごとにまとまるようになり、
 異文明間の争いが起こるようになる”
ということになります。
 本書の中心的なテーマをひとことで言うと、[中略]文明のアイデンティティが、冷戦後の統合や分裂あるいは衝突のパターンをかたちづくっているということである。
[邦訳版21ペイジ。以下同様]

21~22ペイジにかけて本書の全五章の内容が要約されているので、
僕なりに纏(まと)めたうえで示しておきましょう。

 第一部:近代化というのは西欧化することではなく、
     非西欧社会が西欧化するわけでもない。
 第二部:相対的な影響力という意味では、西欧は衰えつつある。
     非西欧文明は全般的に自分たちの文化の価値を再確認しつつある。
 第三部:文明に根ざした世界秩序が生まれはじめている。
 第四部:文明の断層線において文明の衝突が起きる。
 第五部:異文明間の世界戦争を避けるためには、
     世界政治の多文明性を理解し、
     尊重するようにしなければならない。

では、メビウスのインタビューとの関係を見て行きましょう。

 ◆ 1-3 『文明の衝突』を引用している箇所
『文明の衝突』を引用している箇所を直訳とともに挙げたうえで、
具体的な引用本文を検討して行きます。

  ◇ (A)-「国家」という枠組みの限界
Il y a un livre, qui s’appelle Le choc des civilisations,
qui est le résultat d’une recherche approfondie
qu’on trouve dans la tradition anglo-saxonne,
qui consiste à essayer de décoder l’Histoire du monde,
à apposer des grilles de perceptions
qui ne soient pas « nationales » mais « extra-terrienne ».
ここに一冊の本がある。その名前は『文明の衝突』で、
これは、人々がアングロサクソンの伝統のなかに見出す
詳細な調査の結果である。
それは、世界の歴史を解読しようとすることと、
「国家」ではなく「超地球的」という
認識の格子を当てはめようとすることから成り立っている。

『文明の衝突』に
「超地球的」(extra-terrienne)という語は出てきませんが、
「文明」(英civilization/仏civilisation)という枠組みによって
世界全体の情勢を分析しているので、
その点では「超地球的」な研究書と言えるかもしれません。
● アマゾン日「なか見!検索」での"extra"の検索結果

なお、メビウスは、
世界情勢を分析する際の枠組みとしては
「国家」(nationales)は適切ではない、
と言っていますが、これは本書の内容に沿ったものです。
 世界を七つか八つの文明で成り立つと見れば、こうした難点の多くが避けられる。[中略]国家[statist]パラダイムや混沌パラダイムのようにリアリティに固執するあまり簡略さをあきらめる必要もない。
[邦訳版44ペイジ/ペイパーバック版36ペイジ、以下同様]
● アマゾン日「なか見!検索」での該当箇所

ただし、この場合の「国家」には「statist」が使われていて、
フランス語の「nationales」に相当する
英語の「nationals,national」には該当する使用例はありません。
● アマゾン日「なか見!検索」での"nationals"の検索結果
● 同上"national"の検索結果

  ◇ (B)-誰にとっての「西」か、技術の発達と世俗主義、孤立化
On est dans un ordre croissant
d’isolement et de difficulte qui est phenomenal.
Quelque part, dans cette perspective des civilisations,
on voit que ce qu’on appelle la civilisation occidentale
(même si on est toujours les occidentaux de quelqu’un)
a ouvert la boite de Pandore
du développement technologique et laïque,
et toutes les autres civilisations de la planète sont
confrontées à ce problème que nous avons créé.
人々は、
孤立と驚くほどの困難が増大する秩序のなかに居る。
どこだったか、文明に関するこの視点のなかで、
西欧文明と呼ばれているものが
(たとえ、今日では人々は誰かにとっての西欧人だとしても)
技術の発達と世俗主義というパンドラの箱を開けて、
地球の他のすべての文明が
我々が創り出したこの問題に直面している、
という箇所があった。
 *「この問題」(ce problème)は、
 「孤立と驚くほどの困難が増大する秩序」
 (un ordre croissant
  d’isolement et de difficulte qui est phenomenal)
 を指しているのでしょう。

この箇所の内容は比較的『文明の衝突』に忠実です。
ただし、すべてがそのまま該当するような本文はありません。
本文を要約して部分的につぎはぎしている感じです。

  ◇ (B-1) 誰にとっての「西」か
「même si on est toujours les occidentaux de quelqu’un」
(たとえ、今日では人々は誰かにとっての西欧人だとしても)は、
以下の一節に基づいているのでしょう。
「西洋」["the West"]という言葉はいまや多用され、西側キリスト教圏と呼ばれていた世界をさすようになった。したがって、西洋[the West]文明は特定の民族や宗教あるいは地理的な場所の名前ではなく、羅針盤の方位で認識される唯一の文明である。
[邦62/英46-47ペイジ]
● アマゾン日「なか見!検索」での該当箇所

「東」と「西」["West"]という言葉を使って地理的な場所を限定するのは混乱を招くし、自民族中心主義だ。「北」と「南」にはあまねく受け入れられて基準となる定点が南北の極にある。「東」と「西」にはそのような基準点がない。問題はどこの東であり、西であるかということだ。すべてはその人の立っている場所しだいである。
[邦63/英47ペイジ欄外の注。前出の箇所への注である]
● アマゾン日「なか見!検索」での該当箇所

なお、フランス語の「les occidentaux」に相当する
英語の「occidental, occident」等については、
該当する使用例はありません。
● アマゾン日「なか見!検索」での"occidental"の検索結果
● 同上"occident"の検索結果
「西欧」の訳語についてはとくに以下の訳注に従っています。
(訳注ー日本では一般に西洋より西欧がよく使われており、この文明の起源をあらわすにも適切だと考えられるので、本書では西欧で一致した)
[邦62ペイジ、本文中の割注]


  ◇ (B-2) 技術の発達と世俗主義
「ce qu’on appelle la civilisation occidentale(中略)
 a ouvert la boite de Pandore
 du développement technologique et laïque」
(西欧文明と呼ばれているものが、
 技術の発達と世俗主義というパンドラの箱を開けた)については、
以下の一節を挙げることができます。
 このように、西欧が独自の劇的な発展をとげた要因には、[中略]西欧社会では君主と三身分(僧侶、貴族、平民)あるいは世俗[secular]の権力者と宗教的な権力者に力が比較的分散していたこと[中略]などもある。しかし、西欧が拡大した直接の原因は技術[technological]だった。
[邦68~69/英51ペイジ]
● アマゾン日「なか見!検索」での該当箇所

フランス語の「laïque」に相当する
英語「laic,laicism」(世俗、世俗主義)は、
『文明の衝突』では使われていません。
● アマゾン日「なか見!検索」での"laic"の検索結果
● 同上"laicism"の検索結果
その代わりに
「secular,secularism」(世俗、世俗主義)という語が使われています。
● アマゾン日「なか見!検索」での"secular"の検索結果
● 同上"secularism"の検索結果
「技術」「世俗主義」の訳語は邦訳版に従っています。
なお、「パンドラの箱」(la boite de Pandore)という表現は
『文明の衝突』では使われていません。
● アマゾン日「なか見!検索」での"pandora"の検索結果

  ◇ (B-3) 孤立化
メビウスは、
世界は「孤立化」(isolement)の問題に直面している、と言っていますが、
これは「文明の衝突」(異文明間の世界戦争)の問題に相当する
と考えてよいかも知れません。
文化を共有する国家群が冷戦時代の東西ブロックにかわって登場し、世界政治のなかで、文明の断層線[ルビ:フォルト・ライン]を境界として紛争が起こるようになっている。
[邦185/英125ペイジ]
● アマゾン日「なか見!検索」での該当箇所

文明ごとに世界の国々がお互いに「孤立」するようになるわけです。
ただし、フランス語の「isolement」(孤立)に相当する
英語の「isolation」については、
該当する使用例はありません。
● アマゾン日「なか見!検索」での"isolation"の検索結果


以下の記事につづきます。
訳注『メトロポリス』:『文明の衝突』『ジャングル・ブック』の引用とメビウスの日本論 - その2




目次:メビウス、『メトロポリス』を語る
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by moebius-labyrinth | 2006-11-15 22:00 | メビウスの子孫たち
訳注:『メトロポリス』での『文明の衝突』『ジャングル・ブック』の引用とメビウスの日本論 - その2
以下の記事のつづきです。
訳注:『メトロポリス』での『文明の衝突』『ジャングル・ブック』の引用とメビウスの日本論 - その1


◆ 1 『文明の衝突』とメビウスの日本論

 ◆ 1-4 メビウスの日本論
つぎに、メビウスが展開している日本論を見て行きましょう。
該当箇所を直訳とともに挙げておきます。
(a)-西洋人が思いもよらないやり方で近代化した日本
[前略]qui est rentré dans la modernité
par une voie que l’on ne connaît pas, dont on a pas idée.
人々が知らない、人々の察しのつかない方法で
近代に入った[日本人]

(b)-日本人はイギリス人に似ている
A ce niveau,
les Japonais sont
un peu les Anglais du troisième millénaire.
このレベルにおいては、
日本人は第三千年紀のイギリス人のようなものだ。
 *「第三千年紀」(troisième millénaire)については
 以下のページが参考になります。
 ● ウィキペディア日内「ミレニアム」
 要するに、日本人はイギリス人に似ている、
 と言いたいわけです。
 同じ島国からの連想なのでしょう。

(c)-日本は世界の歴史を先取りしている
Ils ont expérimenté
ce que seront les problèmes de la planète,
彼ら[日本人]は、地球の問題になるであろうことを
すでに経験している。

(d)-日本の大衆作家に孤立化の問題が現れている
C’est ça qui est troublant et excitant quand on observe,
non pas le Japon,
mais le regard que pose le Japon sur le monde,
surtout à travers des auteurs populaires.
日本ではなく、日本を世界のなかに据える視点を観察すると、
それは、やっかいで興味深いことだ。
とくに、大衆作家を通して観察してみると。
 *「それ」(C’est)は、
 (B)の、技術の発達と世俗主義、
 孤立化の問題を指しているのでしょう。

(e)-日本は世界の歴史を体現している
Ils portent sur le monde un vrai regard,
ils s’approprient l’Histoire du monde
comme quelque chose que l’on peut légitimement explorer.
Chose que les autres civilisations n’ont pas expérimenté.
彼ら[日本人]は、真のまなざしを世界に注いでいる。
彼らは、人々が当然のように調査できるようなものとして、
世界の歴史をわが物としている。
他の文明が体験しなかったことだ。

(f)-日本人が持っている遊びの態度
Les Japonais n’ont, de fait, aucun complexe,
ils prennent cette attitude,
qu’ils considèrent comme une attitude de maître de Jeu
et ils la jouent sans la moindre peur, sans complexe.
日本人は、実際、コンプレックスをまったく持っていない。
彼らは、遊びの達人の態度だと見做している
この態度を持ち合わせている。
そして彼らは、すこしの恐れもコンプレックスも持たずに、
この態度を遊ぶ。

いずれも『文明の衝突』の内容からは離れたものです。
この本のなかで
日本は一国で一文明を成すものとして特別な扱いをうけていますが、
(この本では世界の国々が八つの文明に分類されています。
 日本以外の国は複数の国で一つの文明に分類されています)
だからといって、
メビウスの言う

 (c)-日本は世界の歴史を先取りしている
 (d)-日本の大衆作家に孤立化の問題が現れている
 (e)-日本は世界の歴史を体現している

というような性質は認められていません。
強いて挙げるなら以下のような一節でしょうか。
[前略]文化的に孤立[lone]している日本は、今後は経済的にも孤立[lonely]していくかもしれない。
[邦201/英135ペイジ]
● アマゾン日「なか見!検索」での該当箇所

 最も重要な孤立国[lone country]は、日本である。日本の独特な文化を共有する国はなく、[後略]
[邦204/英137ペイジ]
● アマゾン日「なか見!検索」での該当箇所

日本の孤立[loneliness]の度がさらに高まるのは、日本文化は高度に排他的で、広く支持される可能性のある宗教(キリスト教やイスラム教)やイデオロギー(自由主義や共産主義)をともなわないという事実からであり、そのような宗教やイデオロギーをもたないために、他の社会にそれを伝えてその社会の人びとと文化的な関係を築くことができないのである。
[邦204/英137ペイジ]
● アマゾン日「なか見!検索」での該当箇所

いずれの例においても、
日本の「孤立」(lone,loneliness)と世界の歴史とのあいだに
類似性は指摘されていませんし、
世界情勢を予測するうえでの特別な意味あいなども含められていません。
メビウスが独自に読み取った結果なのでしょうが、

 (a)-西洋人が思いもよらないやり方で近代化した日本
 (f)-日本人が持っている遊びの態度

と併せて、
こういった特別な思い入れは過大評価でしかないと思います。

 (b)-日本人はイギリス人に似ている

も、俗流の日本論としてありふれたものです。

総じて、ここで展開されているメビウスの日本論は、
いわゆるオリエンタリズムの一種として
批判されてしかるべきものだと思います。
● ウィキペディア日内「オリエンタリズム」
西洋の東洋に対する差別の裏返しとして、
日本を過度に祭り上げているだけなのではないでしょうか。


◆ 2 『ジャングル・ブック』と白人至上主義・人間中心主義

 ◆ 2-1 『ジャングル・ブック』についての基本的な情報と内容
『ジャングル・ブック』
(英The Jungle Book/仏Le Livre de la jungle)は、
イギリスの作家キプリング(Kipling)が1894年に発表した有名な小説です。
● ウィキペディア日内「ラドヤード・キップリング」
● 同上「ジャングル・ブック (小説)」
狼に育てられた少年の物語、と要約されることが多いのですが、
実際にはこのほかにもいろいろな動物の物語が収録されていて、
オムニバス形式になっています。
● アマゾン日内『ジャングル・ブック』(角川文庫)のページ
  *僕が実際に参照したものです。
● 「Project Gutenberg」内「The Jungle Book by Rudyard Kipling」
  *原文を読むことが出来ます。
● アマゾン仏内『Bibliotheque de la Pleiade / Kipling : Oeuvres, tome 2』のページ
  *仏訳版はこれを参照しました。

 ◆ 2-2 『ジャングル・ブック』を引用している箇所
『ジャングル・ブック』を引用している箇所を
直訳とともに挙げておきましょう。
On n’a pas encore vu d’histoire
par exemple qui serait racontée par l’Islam
et qui prendrait des blancs comme vecteur d’humanité.
Nous on peut faire cela,
comme KIPLING l’a fait avec le Livre de la Jungle,
et raconter une histoire avec un indien dans une forêt
qui devient un mythe fondamental et mondial.
人々はまだ、
たとえば、イスラム文明によって話されていて、
また、白人を人間性の仲介者として据えているような物語を、
見たことがない。
我々は人々にそのことをすることが出来る。
たとえば、
キプリングが『ジャングル・ブック』によって彼らにそれをして、
根本的で世界的なひとつの神話になっている、
森のなかの一人のインド人の物語を話すように。

メビウスは
「une histoire avec un indien dans une forêt
 qui devient un mythe fondamental et mondial」
(森のなかの一人のインド人の物語で、
 根本的で世界的なひとつの神話になっている)
と言っていますが、
『ジャングル・ブック』の要約としては標準的なものだと思います。

 ◆ 2-3 白人至上主義・人間中心主義
しかしながら、
『ジャングル・ブック』を
「白人を人間性の仲介者として据えているような物語」
(d’histoire[中略]
 qui prendrait des blancs comme vecteur d’humanité)
とするのは大いに問題があります。
『ジャングル・ブック』には、
狼に育てられたインド人の少年が白人に人間性を教えてもらう、
というような場面はありません。
ただし、
1994年に実写映画化された際にそのようなアレンジがなされているので、
メビウスはこの映画を想定しているのかも知れません。
● 「goo映画」内「ジャングル・ブック(1994)>あらすじ」
  *映画のあらすじがすべて書かれているので注意してください。
  ほとんど別作品と言ってよいほどに大胆にアレンジされています。
  原作には「英国軍将校ブライドン少佐」や「ブライドン少佐の娘キティ」、
  「彼女に恋するブーン大尉」は登場しません。

さらに、原作との食い違い以外にも、
「白人を人間性の仲介者として据えているような物語」という内容自体に
大きな問題があります。
こういった考え方は、
いわゆる「人間中心主義」として批判されているものに当たるからです。
「人間性」(humanité)
「ヒューマニズム」(英humanism/仏humanisme、人間性を重視する考え方)
と言うと一見良いものに見えますが、
その裏には“人間以外のもの”に対する差別が隠されています。
ここで言う“人間以外のもの”は動物や植物には限られません。
西洋の白人にとっての“人間以外のもの”、
すなわち、東洋に住む有色人種も、
“人間以外のもの”に分類されてしまう場合があるのです。
たとえば、白人が黒人を奴隷として酷使したり、
アメリカに渡った白人がインディアンを虐殺したりする場合に、
「有色人種は人間ではないから」という理由で、
大々的に正当化されていた時代がありました。
● ウィキペディア日内「人種差別」
● 同上内「有色人種」
● 同上内「白人至上主義」
メビウスは、
「白人」に「人間性」を教えてもらわなければならない人達として
イスラムの人や日本人を想定しているわけですから、
問題は決定的です。
メビウス自身に悪意は無いのでしょうが、
メビウスの発言には白人至上主義・人間中心主義が透けて見えてしまいます。
「1-4 メビウスの日本論」において僕は、
メビウスの日本論は
「西洋の東洋に対する差別の裏返しとして、
 日本を過度に祭り上げているだけ」
なのではないかと評しましたが、
メビウスによる日本の過大評価は、
こういった白人至上主義・人間中心主義と表裏をなしている
のではないかと僕は思います。
訳注:『メトロポリス』での『文明の衝突』『ジャングル・ブック』の引用とメビウスの日本論 - その1


◆ 3 総括
総じて、このインタビューのなかの
『文明の衝突』と『ジャングル・ブック』の引用には不正確な部分があり、
メビウスの日本論にも大きな問題があると言わざるを得ません。

もっとも、これはあくまで
訳文を作るために可能なかぎり厳密に検証したからなのであって、
メビウスを妄信する必要がないのと同様に、
必要以上に責める必要もないと思います。
公的な論文などではなく、
あくまでインタビューで映画の感想を述べているだけなのですから、
この程度はフランス人としては標準的なのではないでしょうか。




目次:メビウス、『メトロポリス』を語る
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by moebius-labyrinth | 2006-11-15 21:50 | メビウスの子孫たち
訳注:『メトロポリス』の落書きとサウンド・トラック
「メビウス、『メトロポリス』を語る」の訳注です。
他の関連記事については以下のインデックスを参照してください。
目次:メビウス、『メトロポリス』を語る


◆ 落書きとサウンド・トラック

 ◆ 原文と問題点
インタビュー原文を直訳とともに挙げておきます。

AL:
Au niveau des références du film,
il y a un véritable jeu permanent tournant au jeu de piste
par rapport à
tout ce que l’on peut voir d’écrit sur les murs de Métropolis.
アニメランド:
映画の諸々の出典についてですが、
人々がメトロポリスの壁のうえに書かれたものを見ることができる
こと全てとの関連で、
サウンド・トラックのうえで
ひっきりなしの本当の遊びがあります。

要点は三つです。

 1, 壁の落書き
 2, サウンド・トラックのお遊び
 3, 落書きとサウンド・トラックのお遊びとの間に関連がある

1については、
メトロポリスの地下世界の諸所で落書きを見つけることが出来ます。
2の「jeu de piste」(サウンド・トラックのお遊び)については、
『I Can't Stop Loving You』と
([訳注『メトロポリス』:『I Can't Stop Loving You』])
ジャズ風のBGMをおもに挙げることが出来るでしょう。
問題は3で、
「par rapport à」(~に比べて、~との関連で)を
どう解釈するかによるのですが、
アニメランドのインタビュアーは、
落書きとサウンド・トラックのお遊びとのあいだに
「rapport」(関係)があると言っています。
これがよく分かりません。

 ◆ ジャズ風のBGMとスタイルの使い分け
まず、ジャズ風のBGMについて確認しておきましょう。
本作の音楽は
本多俊之という有名なジャズ・ミュージシャンが担当しています。
● ウィキペディア日内「本多俊之」
● 本多俊之公式サイト
このジャズ風のBGMは、
たんにジャズというだけではなくて、
作品のテーマと関連させたうえで
意識的にスタイルが使い分けられていると思います。
「漫画」にギャグや劇画等のスタイルの違いがあるのと同様に、
ジャズにも色々なスタイルの違いがあるのです。
本作では三つのスタイルが使い分けられていると思います。

  ◇ ディキシーランド・ジャズと狂騒の20年代
『メトロポリス』の地上世界の街並みは、
1920年代に流行ったアール・デコという美術の様式を
模したものになっているのですが、
ジャズ風のBGMは、この時代にアメリカで流行っていた
ディキシーランド・ジャズのスタイルを模したものになっています。
● ウィキペディア日内「アール・デコ」
● 同上内「ディキシーランド・ジャズ」
映画の最初のほう、
「METROPOLIS」という表題がおおきく映し出される前後の場面で
メトロポリスの喧騒が映し出されますが、
[レンタル版DVDで再生時間00:01:36~00:04:30、以下同様]
ここで鳴っているのがディキシーランド・スタイルのジャズです。
この場面はまさに、
「永遠の繁栄」(Great Prosperity)「狂騒の20年代」(Roaring Twenties)
「ジャズ・エイジ」(Jazz Age)などと呼ばれる、
もっとも繁栄を極めていた頃のアメリカを彷彿とさせる
仕掛けになっています。
● ウィキペディア日内「アメリカ合衆国の経済>2.2 第一次世界大戦と永遠の繁栄」
● ウィキペディア米内「Roaring Twenties」
● 同上内「Jazz Age」
なお、ニューヨークの摩天楼がこの時期に建設されていること、
このあとすぐ大恐慌が起こって
「永遠の繁栄」が未曾有の大不況に変わることも、
押さえておいて良いかもしれません。
● ウィキペディア日内「超高層ビル>3.1.2 ニューヨーク」
● 同上内「エンパイアステートビルディング」
  *摩天楼を代表するアール・デコ調の超高層ビルです。
  『メトロポリス』作中のジグラットのモデルをあえて特定するなら
  これでしょう。
● 同上内「クライスラービル」
  *エンパイアステートのすぐとなりに建つ
  アール・デコ調の超高層ビルの傑作です。
● ウィキペディア米内「Empire State Building」
  *上記二つのビルが一緒に写っている写真を見ることが出来ます。
● ウィキペディア米内「Chrysler Building」
● 同上内「世界恐慌」

  ◇ エリントンとハーレムの退廃
「ZONE」と名づけられている地下世界でも
ジャズ風のBGMが鳴る場面がありますが、
これはディキシーランド・スタイルではありません。
ケンイチ、ヒゲオヤジ(伴俊作)、ペロが
はじめてZONEに降りる場面[13:18~15:07]、
火災からティマを救ったケンイチが目を覚ます場面[25:32~27:05]
で鳴っているのは、
おそらくデューク・エリントン楽団のスタイルを模したものです。
● ウィキペディア日内「デューク・エリントン」
エリントンは
ニューヨークのマンハッタンにあるハーレムという地区を
活動の拠点にしていたのですが、
このハーレム地区は当時、
ギャングが牛耳る非常に治安の悪い土地でした。
● ウィキペディア日内「ハーレム (ニューヨーク市)」
エリントン楽団のダークでミステリアスな作風は、
ハーレムの退廃的な雰囲気を彷彿とさせるものです。
● 『メトロポリス』公式サイト内「MAP」
  *「超近代的な地上都市と退廃的な地下都市」
エリントン楽団が最盛期を迎えるのは1940年前後なのですが、
すでに1927年にはハーレムで活動を開始しているので、
ディキシーランドとエリントンという二つのスタイルの使い分けは、
狂騒の20年代に沸くニューヨークの
光と影を想起させる狙いがあるのでしょう。
 *[13:47]ヒゲオヤジのセリフ
 「ほほう/光ある所に影は生まれる… か」

  ◇ ベイシーと30年代の希望
ラストの大崩壊のシーンの後に鳴るジャズ風のBGMはさらに巧妙です。
[01:38:53~01:42:32]
このBGMは前半と後半に分かれるのですが、
前半[01:38:53~01:40:43]はディキシーランド、
後半[01:40:44~01:42:32]はおそらく
カウント・ベイシー楽団のスタイルを模したものです。
この点はとくに大切なので強調しておきたいのですが、
後半部分でのサックス・セクションのシンコペーションの溜め方や、
いちばん最後のピアノのパターンは、
ベイシー楽団の専売特許です。
● ウィキペディア日内「カウント・ベイシー」
ベイシーは、大恐慌後の30年代に主流になった
スイング・ジャズを代表するプレイヤーで、
とにかくハッピーな作風を信条としています。
● ウィキペディア日内「スウィング・ジャズ」
狂騒の20年代から大恐慌を経て、
1930年代の希望を求めるアメリカの歴史の変遷が、
一曲のなかのスタイルの変化に込められているのではないでしょうか。
(同じ曲の途中でスタイルを変えるなんてことは普通はしないものです)
オープニングとの対比を与えるために、
オープニングの曲のメロディーをそのまま使って
アレンジだけを変えているところも巧妙です。

 ◆ 落書きとの関係?
このように、たしかに「出典」(des références)のある
「サウンド・トラックのお遊び」(jeu de piste)だとは思うのですが、
「壁の落書き」(écrit sur les murs)との「関係」(rapport)が
具体的にどういうものなのかが、良く分かりません。

僕が見た限りでは、
明確に音楽と関連のありそうな落書きは以下の3例です。
(看板も含めています。
 原文の「écrit」は「書かれたもの」という意味です)
11:55
[11:55]
マンハッタンに「RADIO CITY MUSIC HALL」という有名な劇場があります。
● ウィキペディア日内「ラジオシティ・ミュージックホール」
前述のニューヨークの摩天楼の一角にあります。
20:15
[20:15]
「BE BOP」というジャズのスタイルがあります。
● ウィキペディア日内「ビバップ」
なお、この場面で鳴っているBGMはビ・バップではありません。
とくにこれと特定できる作風ではありません。
55:31
[55:31]
「So What」というジャズの有名な曲があります。
● ウィキペディア米内「So What (composition)」
ジャズの歴史を変えた非常に有名な曲です。
曲そのものは作中では使われていません。
45:16
[45:16]
45:11
[45:11]
「So What」は
ZONE-1のEASTブロックとWESTブロックを結ぶ通りの名前
ではないかと思います。
くわしくは以下の記事を参照してください。
補足資料『メトロポリス』:ZONE-1の地図

また、明確に音楽と関係しているとは言えませんが、
上述のニューヨークのマンハッタンを想起させるものがあります。
45:15
[45:15]
「Park Avenue」(パーク・アヴェニュー)はマンハッタンの通りの名前です。
● ウィキペディア米内「Park Avenue (Manhattan)」
上述の摩天楼とハーレムをつなぐ通りです。
56:03
[56:03]
「MANHATTAN」(マンハッタン)の「TTAN」だと思います。
● 「あっとニューヨーク」内「基本情報・旅行情報>地図/地下鉄マップ>ニューヨークの地図(ニューヨーク区・マンハッタン島全域)」
  *ハーレムと摩天楼のあるミッドタウンの位置関係を
  確認することが出来ます。
● 同上内「>ミッドタウン(北側)の地図」
  *ロックフェラーセンターを赤丸で囲ってあるところに
  「Radio City Music Hall」とあります。
  クライスラービルは42nd StとLexington Aveの角、
  (Radio City Music Hallの南東)
  エンパイアステートビルディングは地図から見切れていますが、
  33rd,34th StとFifth Aveの角で、
  クライスラービルの南西に位置します。
  Radio City Music Hallとクライスラービルのあいだに
  「Park Ave」とあります。

ということで、
落書きとサウンド・トラックとのあいだに
とくにこれと言えるほどの関係を挙げることが出来ません。
「par rapport à」は、
たんに並列の意味として解釈するべきなのでしょう。

 ◆ 『St. James Infirmary』と『There'll Never Be Good-Bye』
「サウンド・トラックのお遊び」という意味では、
挿入歌の『St. James Infirmary』と『There'll Never Be Good-Bye』も
確認しておく必要があるでしょう。

  ◇ 『St. James Infirmary』
『St.James Infirmary』はブルースの古典的な曲です。
● アマゾン日内「ジャズ詩大全〈第7巻〉」のページ
  *この曲について解説されています。
  大型図書館で架蔵しているところがあります。
● 「Absolute Lyrics」内「Van Morrison>Saint James Infirmary」
● 同上内「The White Stripes Lyrics>St. James Infirmary Blues」
  *歌詞を参照することが出来ます。
  こういう曲の常として
  歌詞はその場の気分で歌い替えられる場合があるので、
  細かい点で相違があります。

『ジャズ詩大全』(第7巻)によると
この曲は全部で4番まであるようなのですが、
映画のなかで歌われているのは3番です。
上記の歌詞検索サイトで紹介されているのは3番と4番です。
実際に歌われている歌詞は以下のようになると思います。
I went down to St. James Infirmary,
I saw my baby there.
She was stretched out on a long white table,
so cold, so sweet, so bare.
Let her go, let'er go, God bless her,
wherever she may be.
She can look this wide world over,
she'll never find a sweet man like me.
聖ジェイムズ診療所へいって
そこで僕のあのこを見たよ
長い白いテイブルの上でのびていた、
冷たく優しい表情で裸だった
彼女を死なせてやってくれ、死なせてやってくれ
神よ、あのこに祝福を! あのこがどこへいくのであろうと
あのこが世のなかを見わたしたって、
僕より優しい男は見つけられっこないさ
[『ジャズ詩大全』第7巻204~205ペイジの原詩・訳をもとに私見により改めた。訳は村尾陸男]

(おそらく暴行を受けて病院に担ぎ込まれた)
瀕死の恋人を見送る歌です。
ティマを天使に見立てる場面[48:51~50:30]で、
「God bless her」(神よ、あのこに祝福を!)と歌いながら、
じつはティマが失われることを予告しているわけです。
非常に巧妙な選曲だと思います。

  ◇ 『There'll Never Be Good-Bye』
この曲は映画のために書き下ろされたのでしょう。
● アマゾン日内「THERE’LL NEVER BE GOOD-BYE~THE THEME OF METROPOLIS~」
エンディング・テーマとして使われているほか、
ティマがラジオを見つける場面[46:52~46:56]で、
この曲のサビの歌い出しが流れます。
(エンディングの[01:44:16~01:44:20]に相当)
オープニングや大崩壊後に流れるジャズ風のBGMも、
この曲をアレンジしたものになっています。

歌詞を真さんから提供していただいたのですが、
さすがに全文転載するのは問題がありすぎるので、
もっとも重要だと思われる箇所の訳詩だけ、
抜粋しておきたいと思います。
(サックスソロの次のサビ明けから最後まで、[01:46:17~01:47:18])
お叱りを受けた場合は即刻削除する所存です。
手を握っていてくれた時のように
私の心のそばにいて
私の命は終わっていくけれど
あなたは私のなかで生き続ける
私の心が私のものでなくなってしまうまで
でも堕ちていく私の姿をあなたには見せたくないから
ここから消えよう

そう、忘れないで、
これはさよならではないの

決して忘れないで、
さよならなんて
ないのだから。
[原詩はMinako "mooki"Obata、訳者不明]
 *個人的に気になるので注記しておきますが、
 訳詩中「堕ちて」とあるところの原詩は「fall」です。

ケンイチの心情に重ねあわされる
『I Can't Stop Loving You』と『St. James Infirmary』に対して、
ティマの側からのアンサー・ソングになっています。
深読みに過ぎるかもしれませんが、
映画のオープニング・テーマはこの曲をアレンジしたものですから、
この映画は全編にわたって、
BGMによって結末(もしくは結末以後)が予告されていることになります。
各場面にぴったりの音楽だけではなく、
あえて内容をずらせることによって、
音楽によって作品の世界が二重三重に広げられているわけです。

なお、
『There Will Never Be Another You』というジャズの有名な曲があるので、
もしかしたらこれを踏まえているのかも知れません。
(「There'll never be~」というのは慣用句ですが、
 『~Another You』はものすごく有名な曲なので、
 本田俊之が知らないはずがありません)
● 「ARTANIS」内「 There Will Never Be Another You...(Harry Warren) 」

――どうでもいいことですが、
古典的な曲の中から絶妙の選曲をする監督の手腕も恐ろしいですが、
作詞者(Minako"mooki"Obata)と作曲者(本田俊之)は、
レイ・チャールズとブルースの古典に匹敵する曲を創ってくれ
と言われているのも同然なのですから、
よくもまあ、仕事を受けたよな、と思ったり思わなかったり……。
(普通は畏れ多くて出来ませんよね、やっぱり)

 ◆ その他
エンド・クレジットによると、
ジャズ風のBGMを演奏しているバンドの名前は
「METROPOLITAN RHYTHM KINGS」となっていますが、
(メンバーも豪華です)
これはディキシーランド・ジャズのバンド名を意識したものだと思います。
● ウィキペディア米内「New Orleans Rhythm Kings」
そしてなんと、
りんたろう監督がバスクラリネット(B.Cl)でクレジットされています。
ロートン博士の研究所が映し出される場面[14:47~15:07]の、
右チャンネルでトリルを吹いているバスクラリネットが
りんたろう監督だと思うのですが、いかがでしょうか。
とにかく、
音楽にしっかりとした意味づけがなされているのは間違いないようです。

また、じつは主人公のケンイチの声も、
有名なジャズ・シンガーの小林桂が担当しています。
● 小林桂公式サイト
映画公開の2001年は、
ちょうど小林桂が精力的に売り出していた時期に当たります。
声優の才能まであるとは恐ろしいかぎりですが、
サウンド・トラックに参加していないのが実に惜しいっ。
せっかくだから本多俊之と競演して欲しかったのに……。

なお、ヒップ・ホップのグラフィティ風の落書きを
作品の諸所で見つけることができますが、
ヒップ・ホップとの関連は考えなくても良いでしょう。
● ウィキペディア日内「グラフィティ」
● 同上内「ヒップホップ」




目次:メビウス、『メトロポリス』を語る
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by moebius-labyrinth | 2006-11-15 21:40 | メビウスの子孫たち
訳注『メトロポリス』:ティマが部屋の壁一面に愛する人の名前を書く場面
「メビウス、『メトロポリス』を語る」の訳注です。
他の関連記事については以下のインデックスを参照してください。
目次:メビウス、『メトロポリス』を語る


◆ ティマが部屋の壁一面に愛する人の名前を書く場面
以下の場面のことでしょう。
01:08:39(1)01:08:39(2)
01:08:4001:08:42
[01:08:39(1)][01:08:39(2)]
[01:08:40][01:08:42]
メビウスは、
「Ca veut dire
 que l’écriture, le hiéroglyphe manifesté est
 porteur du fond d’elle même. 」
(これは、
 この書かれた文字、表出された象形文字が、
 まさに彼女の内面そのものを伝えるものだということを
 意味している。)
と言っています。




目次:メビウス、『メトロポリス』を語る
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by moebius-labyrinth | 2006-11-15 21:30 | メビウスの子孫たち
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