メビウスと宮崎駿の対談動画の文字おこしと和訳の準備稿です。
動画の詳細は以下の記事を参照してください。
[
メビウス&宮崎駿の対談動画6種]
メビウスの発言は動画の字幕をそのまま写してあります。
宮崎駿の発言は、読みやすさを考慮して、
かならずしも厳密には文字おこしはしていません。
表記の形式は以下のようになります。
フランス語(メビウスの発言)
メビウス:
日本語(メビウスの発言の和訳)
宮崎:
日本語(宮崎駿の発言)
「*」(アステリスク)から始まる文書は訳注です。
今回は抜粋動画その2の下訳の誤訳のチェックとまとめです。
まだ決定稿ではありません。
◆ 抜粋動画その2
宮崎駿:
いや……。
*仏訳では「Vous croyez?」
(いえ、そんなことはないと思います)と訳されています。
おそらく、宮崎駿のこの発言の前に、
メビウスが宮崎駿を褒めまくっていたのではないかと思います。
Tout a l'heure, des questions
ont ete posees a M.Suzuki
pendant la conference de presse.
Il y avait une journaliste japonaise
qui disait que le film,
son dernier film
avait ete un peu critique au japon.
Et M.Suzuki a repondu
que M.Miyazaki aimait toujours
casser les systemes
sur lesquels il s'appuyait,
mais que sa preoccupation,
c'etait le public,
la satisfaction du public.
Il y a donc un melange d'aventure
et de souci du spectateur.
メビウス:
さっきも、記者会見の場で、
鈴木プロデューサーが質問攻めに会っていましたよ。
日本人の記者がちょうどこの映画について訊いていたな。
「宮崎氏の最新作は、日本では、
どうも評判が良くないようですが?」と。
鈴木プロデューサーはこう答えていた。
「宮崎さんはつねに、
固定観念を打破しようとしていますから。
しかし、何よりも観客のことを第一に思っています。
何よりも、映画を観れくれた人に満足してもらいたい、と
思っているのです。
だから、思い切って冒険したいという気持と、
観客に分かってもらいたいという気持との間で、
板ばさみになっているようです」と。
宮崎:
21世紀というのは、とても困難な、先が見えない時代なんです。
いままで自分達が当然だと思っていた色々な常識や考え方を、
ひとつひとつ検討し直さなければいけません。
それは、子供たちや、
エンターテイメントのお客さんたちに向う作品であっても、
今までこうだったから、あるいは、こうだから、
こういう悪役が出て来て、これをやっつければ良いんだ、
とかっていう風に、
簡単につくってはいけないという風に思っています。
一番大きな判断の基準は、
自分がこれで面白いと思うか、っていう。
面白くないからこれは止めた、って、
止めた止めた、ってやって行くうちに、
自分のスタッフもよく分からんっていう作品になってしまって、
私はとても困っているんです。
C'est vrai que son dernier film
est d'une grande complexite
dans les entrees
et les sorties des lieux,
sur l'age des personnages, etc.
Et d'une certaine facon,
ce qui est deroutant,
c'est que le temps consacre
a l'explication des choses
est legerement ampute.
Il y a plein de choses qui n'ont pas
d'explications dans le film.
メビウス:
なるほど、だからこそ、あなたの最新作は、
いろんな場所に行ったり来たり、
登場人物もいろんな年齢の人が入り乱れて、
とてもとても複雑なものになっているのですね。
で、その複雑さこそが作品全体の特徴になっているというか、
何が何だかよく分からない部分があるし、
いまひとつ繋がりの悪い物事についての説明に、
多くの時間が費やされているのですね。
あの映画のなかでは、ほとんどの物事が、
ちゃんと説明されないままに終わってしまっている。
宮崎:
60歳になった少女のための、
60歳の少女のための映画だっていう風に……。
*この発言の仏訳では、
「私は、この映画は60歳の少女のための映画だと思っています」
というように訳されています。
C'est genial!
メビウス:
ハッハッハッ、それはいい!
*あんまりこういうことに訳注を挟まない方がいいとは思うのですが、
メビウスは『ハウルの動く城』の魅力は「une grande complexite」
(大いなる渾沌)にこそあると思っているようなので、
宮崎駿が「60歳の少女」なんていう変なものの言い方で
この映画の特徴を言い表わしたことに、笑っているのだと思います。
宮崎:
18の自分と60の自分とどこが違うんだろう、
少しも違わないんじゃないか。
90のおばあちゃんも、
私は18のときと少しも変わらないよ、
って言うのを聞いたんですよね。
つまり、若い18の少女、女性が、
呪いをかけられておばあちゃんになってしまった、
で、呪いを解けば若くなって幸せになれる、
という映画は、
私にはまったく納得できないんですよね。
つまり、呪い、呪いを解くというのはどういうことか、
っていう時に、
ただ若くなるんではない、
若いのが素晴らしいんじゃない、
じゃあ何が素晴らしいのか?
どうすれば主人公は幸せになるのか、
それを自分なりに必死に探した結果、
こういう映画になったんです。
C'est exact.
メビウス:
なるほど。
宮崎:
ハウルが何をやっているのか、
描く時間は無かったんです。
で、自分のスタッフに訊きました。
よく仕事のために帰りが遅くなってる男たちに訊きましたら、
自分の妻たちは、自分が何をしてるか何も知らないし、
関心も持とうとしていない(と答えたんです)。
じゃあ、ソフィーもハウルが何をしようとしているか、
関心を持たなくてもいいんだ、
っていう風に、そう思ってこの映画をつくったんです。
つまりハウルのことは描かなかったんです。
Au debut, le personnage
ressemble beaucoup
a des archetypes du manga japonais
pour jeunes filles.
Ces personnages avec des grands yeux
et des cheveux
qui tombent comme ca,
comme un rideau un peu mysterieux.
Pour a la fin, devenir tres enfantin.
A la fin...
il perd tous les attributs
vestimentaires heroiques,
et un peu arrogants,
et il devient
comme une jeune homme nu.
メビウス:
映画が始まったばかりの頃は、
そのハウルという登場人物は、
日本の少女漫画のステレオタイプそのもののような
描かれ方がされていますよね。
目がとても大きくて、
髪もちょっと秘密めかして、
ちょうどこんな感じに、
(と言いながらジェスチャー)
幕みたいに垂れ下がっている。
とても幼稚な人間になってしまっていますよね。
でも、映画の最後の方になると、
彼はヒロイックな衣裳を脱ぎ捨てて、
傲慢な態度も鳴りをひそめて、
はだか同然の、ただの一人の若い男になるんだ。
宮崎:
とても嬉しいです。
《補記》
昨日(正確には今日の朝)、
「個人的にどうしても納得の行かない点がある」と言ったのですが、
やはり、この対談の訳文をつくる人間が
『ハウルの動く城』を観ていないというのは
問題があるだろうということで、
大急ぎで観てきました。
結論から言うと、とても素晴らしかったです。
ただ、観る人間を選ぶところが少々あるだろうな、というか、
いままでの宮崎作品と同じようなものを求めている人
(たとえば、この作品に『天空の城ラピュタ』や『もののけ姫』、
もしくはもっと昔の作品のようなものを求めている人)
や、「アニメ」の王道みたいなものを求めているような人には、
とうてい受け容れられない作品だろうな、と思いました。
僕も、事前にこの対談を観ていなかったら、たぶん
「なんじゃこれ?」で終わってしまっていたかもしれません。
僕は、ポール・トーマス・アンダーソン監督の『マグノリア』や
スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』
『時計じかけのオレンジ』なんていうシュールな作品が好きなのですが、
そういうのが好きな人にはぜひともおすすめしたい映画です。
木村拓哉の声は、僕は素晴らしかったと思います。
実写の演技の方ははっきり言って大っ嫌いなんですが、
この映画の声優としての仕事には大満足です。
「ただの格好つけだと思ってたけど、やるじゃん」って感じです。
むしろ、多くの人がすでに言っているように、
僕も倍賞千恵子の少女の声に問題があると思うのですが、
そもそもあの役は、
一人の俳優が少女の声も老婆の声も同時に演じる、
というところに大きな意味がある役だと思うので、
無理からぬところがあると思います。
あの映画に求められているレベルで、
少女の声も老婆の声も同時に演じることの出来る俳優が
いるのかどうかが疑問です。
(厳密に言うと、少女や老婆だけでなく、
すべての年齢の声を演じ分ける必要があると思います)
映画のなかには、少女漫画、童話、悪夢、戦争といった
互いに全く関連のない要素が混在していますが、
それこそがあの映画の魅力だと言いたい。
一本道のストーリーや深淵なテーマなどをあの映画に求めてはいけません。
むしろ、観る人の予想をつぎつぎと裏切って行くこと、
そして、わざと物語に余白が設けられてあって、
その余白を自分で埋めて行くことで、
監督だけでなく、観客も、
物語を創ることの喜びを味わうことが出来る仕掛けになっているということ、
それこそがあの映画の魅力なのだと思います。
それを思うと、最後の方で強引に物語を収束させてしまうのは、
あの映画のなかで唯一いただけない点だなと思いました。
(「動く城」の動きも魅力に欠けるとは思いますが)
やばい、当サイトはあくまでメビウスのファンサイトなので、
脱線はこの辺にしておいて、
さっそく決定稿の作成に移りたいと思います。
《追記》
だめだ、やっぱりこの訳では納得が行かない。
決定稿でさらに改訳します。
《追記の追記》
あ゛あ゛ぁぁぁぁぁー、こんな訳文、人前に出せっかァッ!
ということで、すいません、もう一日だけ時間を下さい。
一晩寝て、体制を立て直します。
あぁ、もう本当にごめんなさい。
遅れに遅れて申し訳ないです。
あぁ~、あの一節が一番大切なところなのに、
メビウスはなんであんなぐちゃぐちゃなものの言い方しやがるんだよぅ……。
ほかの抜粋動画も直したいところが色々とあるし、あ゛あ゛ぁぁぁー。
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以下の記事を参照してください。
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