雑誌「デザインの現場」
(「特集:コミックスの芸術家たち」1992.12, VOL.9, NO.58, 美術出版社)
から、メビウスのインタビュー記事を引いておきます。
取材・文 桜井みどり
メビウスことジャン・ジローは
すでにフランスを超え世界のBD
[引用者注:「ベーデー」とふりがな](漫画)界が誇るアーティスト。
地球を縦横に駆け巡っている彼は、
フランス人でありながらパリでつかまえるのが難しい。
が、幸い映画「スターウォッチャー」製作のため、
しばらくはこの古巣に落ち着いている。
過密スケジュールの合間を縫って、
録画準備中のフランステレビ局3チャンネルのヴィデオシステムで
インタヴューに答えてくれた。
□ □
――あなたの描く「未来」にはテクノロジー一点張りの「未来」とは違う、
何かもっと人間味あふれる暖かいものを感じるのですが、
未来観についてお話しいただけますか。
◎科学や技術の発達は時として人間の苦悩をひきおこします。
人間の触れ合いやコミュニケーションの欠如は破局的な問題です。
私は一個人の人生が人類にも当てはまると思います。
人は子どもから大人になって年老いてやがて死ぬ。
人類の歴史も同様です。平坦で画一的なものじゃない。
でも革命は技術に限らず精神、つまり思考や感情、創造性にも起こります。
それによって私たちが生き残るの右翼、
例えば地球を守るために協力するとか、
そういった能力も発達していくと私は思っています。
だから悲観的になりすぎる必要はない。
例えば私自身が何か障害や不幸に出会ったとき、
できるかぎり素直に受け止めようと努めます。
一路受け入れれば物事はひとりでに回転していく。
そう思っているので私の未来観はどちらかといえばスイートで
愛や感情があると言われるのではないでしょうか。
もちろん一個人が老いや病気で苦しむことがあるように
人類も苦しむことはあります。
死を前にした悲惨な情景もあります。
しかし人は死に対して別の処し方があることも知っている。
この意識は日本の伝統の中に強くあるでしょう。
禅はその意識に関して完璧ではないですか。
――そういえば、
あなたの描く物語の中には悟りを開いたような人物が出てきますね。
◎私は人類がノーマルに発展したら、
いずれ忘我入神の境地に至ると思っています。
――東洋哲学に興味があるのですか。
◎人間に興味のある人だったら誰だって哲学に惹かれると思いますよ。
東洋に限らず、アメリカインディアンとかギリシアとか。
それは現代人にも受け継がれていると思います。
――クリスタルに非常にご興味をお持ちと聞きましたが、
そういった思想と何か関係がありますか。
◎私にとってクリスタルは発展のシンボルです。
クリスタル自身も自然に想像された物質であり、
透明で光やエネルギーを増加させる。
人間科学の土台でもあります。
我々のすべての器官がごくごく小さい結晶体の集まりでできているのですよ。
筋肉や組織の中にあって人体の各所を記号化し同じ配列に構成する。
生と意識を運ぶ非常に神秘的な構造体です。
――筋肉組織がからまったような抽象体を描かれていますが、
あれもクリスタルの派生ですか。
◎ウーン、よくわからないけど、そうかもしれない。
でもあれは色や形の遊びとして描いたので
特別そういう意識はしてませんでしたけど。
――作品集『Venice Celeste』にあるような
時間と空間の交錯した感覚はどこから来るのですか。
◎あれは、ヴェニスで私が体得した感覚です。
ヴェニスは滅びゆくという恐れをもつ特殊な美しさのある街。
現在と過去の連結点として時をとても強く感じます。
ルルドのような聖地といってもいいかもしれない。
しかしヴェニスは聖人が現われたので聖地になったのではなく、
時や空間がそうしたのです。
そこに身をおくだけで何か魔力のようなものを感じます。
この感覚はヴェニスだけでなく日本でも感じましたよ。
――日本のどこでですか。
◎京都や奈良で。
パリでも、世界中どこでもそういうものを強く感じるところがあるのです。
人類がもっと若く素朴だったころ、
そういう地が示す理性では割り切れないことで世の中を計っていました。
シャーマンは当てずっぽうに場所を決めていたのではなく、
そこにエネルギーがあるのを体で感じたのです。
現代人はそれに感応しなくなっているので他でそれを補っています。
科学発見の道は結局のところ昔の魔術と同じところに向かっています。
言い方が違うだけで。
――絵や文学の中でとくに誰かに影響されたというようなことはありますか。
◎ウーン。
私の人生のなかではたくさんの人に出会って、
いろんなことが私をBDに向かわせたのだけど。
他のことはできなかったし。
多くの人が自分自身を発見することを助けてくれました。
とくに嫉妬によって。
――例えば誰に嫉妬したんですか。
◎全部に。私はすべての絵描きに嫉妬します。
だってみんな素晴らしい。
中には本当に手も届かない人もいて、
そういう人には、
行きたくても行けない火星や木星を羨望するように嫉妬しました。
でも最後には愛に変わるんです。
嫉妬というのは自分がそうできると思うからなんです。
でも自分にはできないと気づいた瞬間、愛し始める。
そしてそれは自分自身をも愛し始める瞬間です。
そうですね、だから、自分に一番影響を与えた人物は私自身でしょう。
とにかく、絵描きが人間であることを超えたとき私は感動します。
それは素晴らしい絵であるとは限らない。
ものすごくひどいこともある。
その恥のバリケードを超えたところがすごいと思うんです。
――北斎や広重など日本の浮世絵にご興味はありますか。
◎もちろん、もちろん。
私は漫画家であるということですでに自動的に日本に結びついています。
日本の芸術はとてもグラフィカルで線描的です。
伝統的なものばかりでなく、
十九世紀末、今世紀初頭、
それに現代アーティストについても常に感動させられています。
日本の漫画家も好きですよ。
――例えばどんな漫画家がお好きですか。
◎谷口ジロー、大友克洋、宮崎駿…。この三人はとくに。
――どういう点が?
◎彼らに限りませんが
日本の漫画家にある夢の自由な発露や心の襞の描写は、
西洋にはまだないように思います。
フランスやヨーロッパでは発見しつつありますが、
アメリカにはほとんどない。
アメリカンコミックといえばアクションと暴力。
感情といえば怒り。まったくステレオタイプです。
ヨーロッパでは、私自身もちょっとそうですが、
構築されたストーリー性とグラフィックの巧みさに重きを置く。
日本の夢と苦悩の描写はBD界ではとても斬新だと思います。
――谷口ジローとのコラボレーションの計画があるそうですが、
絵をなさるのですか、シナリオですか。
◎私はシナリオです。
――どんなストーリーになりそうですか。
◎ある日、飛べることになったひとりの男の苦悩です。
それが非常に大きな問題を呈していく。
社会にとっての危険分子として、
家族とも引き離されて研究所で人体実験の材料にされるんです。
飛ぶことに憧れる人は多いけれど、
よく考えてみれば、
実際そうなったらスーパーマンのようにヒーローになれるわけではないでしょう。非常にリアリスティックなストーリーです。社会学的政治学的にね。
――飛ぶ人間とは何を意味しているのですか。
◎夢の象徴であると同時に変化、革命のシンボルです。
人は夢を抱くけれども、
一度それが実現しそうになるとさまざまな抵抗が起こってきます。
この物語のなかで、飛翔に抗う人たちは、
実生活の中で変化や革命に反対する人たちです。
――映画「スターウォッチャー」を製作中とうかがいましたが、
それについてお話しいただけますか。
◎今非常に微妙な段階であまり言えないんです。
申し訳ないですが。ただひとつ確かなのは長編アニメだということだけです。
――漫画家であり、画家でもあり、現在映画も手がけているわけですが、
それらの関連性は?
◎私はすべてのことを自分の創造欲を満足させるためにやってます。
推しつけられてやるんじゃなくてね。
でも生きるためには働かなければならない。
いろいろなことに関わるのは、
ちょうどサーフィンのように、
職業としてのアートと個人的満悦のためのアートの間で
バランスを取るためなんです。
波に乗ってその二つの間で揺れるが、どちらにも倒れてはいけないんです。
――描く前に構想を組み立てるのですか、
それとも手の赴くままに任せるのですか。
◎難しい質問ですね。決まりはないです。
もし描くときにそうしたいと思えば決まりを作ることはあります。
でもその翌日は新しい決まりを作り出したり…。
そういう選択って神秘的だと思いますね。
天が私を選択の場に置き、私がただちに選ぶ。
もちろんBDの場合、
始めたら最後まで同じスタイルでやったほうがいいんでしょうけど、
それでも途中で変わったりしますよ、私の場合。
――画材は何を使っていらっしゃるんですか。
◎インクです。中には色鉛筆。その時机の上にあったもので描きます。
――どこでも描くタイプですか。それともどこかにこもって?
◎どこでも描きます。道でもカフェでもアトリエでも。
――どんな映画がお好きですか。
◎前衛や大ヒット作品やホラーや悪趣味や、
いろいろ見た末、現在はごく普通なものに戻ってきましたね。
どんな映画でも誰かの言いたいことがある。
コミュニケーションしようという人は皆すきなんです。
内容ではないけど、
場内が暗くなって私が座ってスクリーンが明るくなる瞬間が大好きです。
映画のなかでもっともすばらしい瞬間ですね。