雑誌「CineLive」誌でのメビウスのインタビューの和訳の準備稿です。
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J'ai rencontre l'art de Miyazaki comme un mystere sans nom...
C'etait en 1987, a Los Angeles,
mon fils Julien, alors age d'une dizaine d'annees
faisait partie d'une petie bande d'adolescents
tous passionnes par les series d'animation japonaises
qui revolutionnaient, a l'epoque,
le petit monde du 《Saturday morning》.
Le 《Samedi matin》 etant le minuscule territoire
que la tele US avait concede aux enfants
sous la ferme bienveillance
mais un rien paresseuse de Hanna & Barbera
[後略].
私がはじめて宮崎さんの作品に出会ったときというのは、
じつはまだ宮崎さんの名前を知らなくて、
ちょっとしたミステリーを体験しているようでした。
たしか1987年、
ロスアンジェルスに住んでいたころのことだったと思います。
息子のジュリアンが10歳くらいのころだったかな、
日本のアニメが好きな子たちと仲良くしていたんです。
当時の日本アニメといったら、
土曜の朝にやっているアニメの特集番組のなかでも
異彩を放っていたものでしたよ。
『サタデー・モーニング・カートゥーン』、知りませんか?
アメリカのテレビ界が本当に子供のことを考えてつくっていた、
小さいけどとても良い番組でしたよ。
まあ、ハンナ=バーベラプロダクションがつくっていたのなんかは
ちょっと酷かったですけどね。
《補記》
いろいろと注をつけたいところがあるんですが、
それは次回へ。
夕飯たべよう……。