フランスの映画雑誌「CineLive」誌に掲載された
メビウスのインタビュー記事の全訳です。
メビウスがはじめて宮崎駿の作品を観たときのことについて、
くわしく語ってくれています。
◆ 雑誌「CineLive」誌
● 「MAJOR GRUBERT」内「textes interviews>CineLive」
アルファベット順にならんでいる項目のなかの
「CineLive」とあるところをクリックしてください。
フランスでのメビウスのメーリングリストを通して集められた
レアな画像を保管しておくサイトのなかの1ページです。
どうやらフランスの映画専門雑誌「CineLive」の1ページを
スキャンしたもののようです。
● 「CineLive」誌公式サイト
残念ながら、問題の記事が何号のものなのかは判明しませんでした。
◆ インタビュー記事全訳
本文中のリンクをクリックすると訳注に飛びます。
注の最後にある
▲をクリックすると本文のもとの場所に戻りますので、
参照して見てください。
[インタビュー記事全訳]
TEMOIGNAGE
証言
*ページの左側一番上にあるコーナー名です。
HAYAO MIYAZAKI VU PAR MOEBIUS
メビウス、宮崎駿を語る
*記事の見出し、一番大きい小豆色のフォントで書かれているものです。
Juin 2002, rencontre au sommet au musee Ghibli :
Hayao Miayzaki recoit Moebius,
(photos Jean Giraud)
2002年6月、ジブリ美術館で二大巨頭会談が実現:
メビウスの訪問を受ける宮崎駿。
(写真:ジャン・ジロー)
*写真の下のキャプションです。
LE MAITRE DE L'ANIMATION VU PAR LE MAITRE DE LA BANDE DESSINEE :
COMMENT PASSER A COTE D'UN TEL MOMENT ?
SURTOUT QUAND LE SECOND EST UN GRAND ADMIRATEUR DU PREMIER
ET VICE-VERSA.
RECIT D'UNE RENCONTRE AVEC L'OEUVRE DE MIYAZAKI
PAR JEAN 'MOEBIUS' GIRAUD.
バンド・デシネの巨匠がアニメーションの巨匠を語る:
二人が初めて出会ったとき、そして今、
二人のあいだで何が起こっているのか?
メビウスと宮崎駿はおたがいに熱心なファンとして知られている。
ジャン・"メビウス"・ジローが、
宮崎駿の作品に出会った時のことを語ってくれた。
*記事の見出しです。
EST-CE LE MONDE MODERNE ?
宮崎駿の作品は、
やはり新しい世界を切り拓いていると思いますか?
"Chaque art est comme un pays...
Avec ses frontieres aux severes douaniers,
ouvrant sur de vastes territoires ou d'etroites principautes.
宮崎さんの作品にも私の作品にも、
それぞれのお国柄みたいなものが表れていると思います。
お国柄の違いを乗り越えるというのはとても難しいことですが、
宮崎さんの作品には、
国境の壁をものともしない何かがあると思いますね。
それに比べると私の作品の方は、どうも……(笑)。
J'ai rencontre l'art de Miyazaki comme un mystere sans nom...
C'etait en 1987, a Los Angeles,
mon fils Julien, alors age d'une dizaine d'annees
faisait partie d'une petie bande d'adolescents
tous passionnes par les series d'animation japonaises
qui revolutionnaient, a l'epoque,
le petit monde du 《Saturday morning》.
Le 《Samedi matin》 etant le minuscule territoire
que la tele US avait concede aux enfants
sous la ferme bienveillance
mais un rien paresseuse de Hanna & Barbera
(j'ai longtemps cru
qu'il s'agissait d'une grosse dame
dirigeant une cohorte de marmitons-animateurs
d'un doigt encore tache du sang de Tex Avery).
私がはじめて宮崎さんの作品に出会ったとき、
じつはまだ宮崎さんの名前を知らなくて、
ちょっとしたミステリーを体験しているようでした。
たしか1987年、
ロスアンジェルスに住んでいたころのことだったと思います。
息子のジュリアンが10歳くらいのころだったかな、
日本のアニメが好きな子たちと仲良くしていたんです。
当時の日本アニメといったら、
土曜の朝にやっているアニメの特集番組と比べても
異彩を放っていたものでしたよ。
「サタデー・モーニング・カートゥーン」、知りませんか?
アメリカのテレビ界の中でも、
本当に子供のことを考えてつくっていた、
ささやかだけどとても良い番組でしたよ。
まあ、
ハンナ・バーベラ・プロダクションがつくっていたのなんかは
ちょっと酷かったですけどね。
(僕は長いこと
ハンナ・バーベラってのは一人の人物だと思っていて、
新人のアニメーターたちを
太ったおばさんがこき使ってるんだろうな、
なんて思っていたんですよね。
テックス・エイヴリーのつくったアニメは好きだったんですが、
きっと彼も、ハンナおばさんに苛められているんだろうな、
なんてね)
Ce doux paysage a l'humour niais avait litteralement explose
le jour ou un missile nomme 《Robotech》
s'etait abattu par surprise,
bientot suivi par une kyrielle d'autres projectiles,
tous plus destructeurs que mille kamikazes,
et tous originaires de l'Empire du soleil levant.
ところがです、そこにあの
『ロボッテック』が現れるわけですよ。
それまで、アメリカの子供向けアニメ界は
本当に穏やかでユーモアに溢れた世界だったのに、
「ロボテック」という名のミサイルが投下されて、
文字どおり爆発して、すっかり台なしになってしまいました。
それからはもう酷いものばかり、
戦闘機がつぎつぎとやって来て、
カミカゼ特攻隊だの何だの、爆弾を雨あられと投下していったわけです。
それが全部、あの大日本帝国産のアニメだと言うんですからね、まったく。
Comme toujours,
certains gamins enthousiastes se mirent a
collectioner ces projectiles grimacants et colores.
Et c'est ainsi que mon fils Julien,
un jour, me montra une cassette pirate,
ramenee en catimini de l'antre meme de la revolution
par un de ses jeunes coreligionnaires.
Nous glissames aussitot le noir parallelepipede
dans la machine...
L'ecran s'alluma sans prevenir
sur un monde fascinant et enigmatique...
Pas de generique, pas de sous-titres,
aucun indice sur le nom de l'auteur...
Mais des personnages, des images
et en fin de compte une hitoire d'une force et d'une profondeur
qui exercerent sur nous une emprise immediate.
で、そうなるとやはり、
そういったアニメに夢中になる子達が出て来るわけです。
ああいうアニメって、色使いはケバケバしいし、
顔の描き方なんかも何か変に歪んでるでしょう?
そういうアニメのビデオを熱心に集めているんですよね。
息子のジュリアンもそういう子たちと仲良くしているようでした。
そんなある日、
ジュリアンが一本のビデオを持って帰って来たんです。
例によって、
『ロボテック』なんかを有難がってる悪仲間の連中から
こっそり借りてきた
一本の海賊版ビデオテープだったんですが、
まあ何はともあれ、
さっそくビデオデッキに入れて一緒に観てみました。
……びっくりしましたね。
とても魅力的で、とても不思議な世界が、
いきなりスクリーンに映し出されたんです。
そのビデオにはクレジットも字幕も入っていなくて、
監督が誰なのか手掛りはまったく無かったんですが、
でも、この作品に登場するキャラクターたち、映像、
まあつまりは、作品のどれもこれもが、
力強くて、それでいて奥深さを感じさせて、
私たちはすっかりこの作品のとりこになってしまいました。
Visiblement,
nous etions en presence de quelque chose
qui s'apparentait aux series
qui revolutionnaient le petit monde du dessin anime enfantin,
mais a un niveau jamais atteint...
Tout y etait de ce qui fait un vrai film.
La patte d'un auteur,
une humanite qui faisait acceder l'oeuvre a l'universel,
une beaute formelle sans pretension,
une force de l'histoire qui transcendait le barrage de la langue
et releguait l'absence de sous-titres au rang de simple detail.
いま目の前にあるこの作品が、あの古き良き日本アニメの伝統、
子供向けアニメの世界に革命を起したあのアニメたちの伝統を、
しっかりと受け継いだものであるのは明白でした。
しかもこれは一段上のレベル、
まだ何者も達したことのないようなレベルに
到達してしまっているんです。
何もかもが完璧でした。
作品にあふれるヒューマニズム、
いささかの衒(てら)いもない崇高なテーマ、
物語には確かな力強さがあって、
国境の壁や言葉の違いなんて簡単に飛び越えてしまっていました。
本当にこの監督の腕前には驚かされっぱなしで、
それに比べたら、字幕が入っていないことなんか
まったく気になりませんでしたね。
Apres quelques recherchers,
j'appris le nom de l'auteur, Miyazaki,
et le titre du chef d'oeuvre, Nausicaa.
さっそく色々と調べてみましたよ。
監督の名は「宮崎駿」と言いました。
そしてあの大傑作の名は、
『風の谷のナウシカ』だったというわけです。
Un grande tristesse s'abattit sur moi.
S'agissait-il d'un feu de paille ?
D'un meteore sans lendemain ?
Etais-je le seul a discerner l'immense valeur
que recelait la precieuse cassette ?
J'etais partage entre
la satisfaction egoiste de posseder seul ce tresor
et l'indignation qu'il puisse etre
plus longtemps plonge dans l'ombre.
J'eus bientot la reponse :
Laputa Le chateau dans le ciel sortait quelques mois plus tard.
Je decouvrais a cette occasion
qu'une legion souterraine de fideles adorateurs existait deja...
Tous avaient vu Miyazaki.
Et la plupart depuis bien plus longtemps que moi...
Inutile de dire que j'en fus heureux
et que je n'eus plus qu'un double reve :
でもすぐに、とても悲しい気持ちになりました。
だって、ほとんど誰も
この大傑作のことを知らないわけでしょう?
ミヤザキの作品はこれっきりで終わってしまうんだろうか?
まるで光ってはすぐ消えてしまう流れ星のように、
彼の作品を観るのはこれが最初で最後になってしまうんだろうか?
この一本のビデオテープに隠されている
はかり知れないほどの価値に気が付いているのは、
僕だけなんじゃないだろうか?
たった一つの宝を独り占めして自分ひとりだけで楽しむか、
このままだとずっと埋もれたままになってしまいそうな宮崎さんの名を
広める努力をするか、
二つの選択肢のあいだでかなり悩んだものですよ。
答えは以外にあっけなく出ました。
数ヶ月経ってから、『天空の城ラピュタ』が公開されたんです。
この時になると、
すでに宮崎さんには熱心なファンが沢山ついているようでした。
まだ表立って現れてはいませんでしたが、
でも確実に、多くの人の心を捉えているのが分かりました。
みんなもう宮崎さんの他の作品までチェック済みなんですよ。
しかも、僕なんかより年季の入ったファンがごろごろ居るわけです。
もう本当に嬉しかったですね、その時の僕の気持ち、分かるでしょう?
……そして、僕には二つの夢が出来たんです。
a) me mettre a l'affut de toute nouvelle oeuvre de maitre.
Le moindre dessin qu'il soit anime ou non,
tout a la fois calmait ma fringale et aiguisait mon appetit.
b) faire connaitre au monde le bonheur d'etre dans la penombre
et de voir s'illuminer un ecran de n'importe quelle taille
sur le nom de... Miyazaki."
メビウスの夢その1:
宮崎駿の完全な新作をいち早く観たい。
どんなに短いものでも良い、
アニメでも何でも良いから、
とにかく宮崎駿の新作を観たくて観たくてたまらない。
メビウスの夢その2:
まだ無名のこのアニメ作家の名前を世界中に広める。
規模の如何(いかん)にかかわらず、
この監督の作品が公開されることは、
世界中の人々にとってまたとない幸せであることを認知させる。
世界が知るべきその監督の名前とは、
……「宮崎駿」。
《注》
1
この時のことがジブリ美術館公式サイトのなかの
「美術館日誌」というコーナーでレポートされています。
● 三鷹の森ジブリ美術館公式サイト内「美術館日誌>2002年8月1日」
しかし、メビウスと宮崎駿が会ったのは実際には8月であったようです。
記事に掲載されている写真の右下にも「8 1 '0」とあります。
おそらく「8 1 '02」が切れているのでしょう。
写真はメビウスがプライベートで撮ったもののようです。
背景に写っているイラストは
同館の休憩室の壁に描いたという直筆のイラストなのでしょう。
しかも、アルザックの隣りに描かれているのは、
宮崎駿のイラストではなく、なんとロシアを代表する有名なアニメ作家、
ユーリ・ノルシュテインの描いた狼のイラストのようです。
な、なんという豪華な壁……。
● 三鷹の森ジブリ美術館公式サイト内「美術館日誌>2002年6月4日」
● 「ユーリ・ノルシュテインの仕事」
ユーリ・ノルシュテインについて詳しいサイトです。
2
「サタデー・モーニング」(Saturday morning)は、
アメリカで土曜日の朝に放送されている
子供向けテレビアニメの俗称です。
「サタデー・モーニング・カートゥーン」(Saturday morning cartoon)
とも呼ばれます(「土曜の朝のアニメ」という程の意味です)。
特定の番組の名前ではなく、
土曜の朝にやっている子供向けアニメ全般を指す語です。
日本で言うなら「夕方5時」、
もしくは「日曜の朝」と言った感じでしょうか。
● ウィキペディア米内「Saturday morning cartoon」
上記のページで概要を押さえることが出来ます。
残念ながら、日本語で書かれた概説ページ等は
見つけることが出来ませんでした。
上記のページに以下のようにあります。
Saturday morning cartoon is the colloquial term
for the typical television animation programming
that was typically scheduled on Saturday mornings
on the major American television networks
since the mid 1960s.
「サタデー・モーニング・カートゥーン」は、
1960年代半ばころから
アメリカの主要テレビ局で土曜日の朝に放送されている、
アニメ番組の俗称である。
ただ、粗製濫造が進んだため、
かならずしも高い評価は得られていないようです。
Although this broadcasting convention meant
steady work for animation companies,
most animation fans consider
the resulting cost to American animation
to be ruinous to the art.
土曜の朝に子供向けアニメを放送するという慣習が
テレビ界に出来上がったことで、
多くのアニメ会社が定期収入の手を得た。
だが、アニメ・ファンの間では、
低価格での制作が慣習になってしまったため
アメリカ・アニメのレベル低下を招いた、
という批判も多い。
そして、この粗製濫造を招いた最大の原因として挙げられるのが、
アニメ制作会社「ハンナ・バーベラ・プロダクション」
であるようです。
Furthermore, limited animation,
such as the kind produced by Hanna-Barbera Productions,
was economical enough to produce in sufficient quantity
to fill the four hour time slot,
4時間の放送枠を埋めるために、
ハンナ・バーベラ・プロダクションが制作していたような、
作画枚数を減らして制作された「リミテッド・アニメ」が、
制作費を抑えたままで大量のアニメを制作することが出来る、
という意味で、放送局に歓迎された。
ただ、このハンナ・バーベラ・プロダクションというのは、
あの『トムとジェリー』や『フリントストーン』
『チキチキマシン猛レース』を制作した会社でもあったりします。
● ウィキペディア米内「Cartoon Network Studios」(Hanna-Barbera productions)
● 「CARTOON CETWORK.co.jp」内「トムとジェリーミニ知識」
(>トムとジェリーの生みの親「ハンナ・バーベラ」とは?)
● 「Wacky Races」内「ハンナ=バーベラ バイオグラフィー」
● 「はすぴー倶楽部」内「『あの頃』のセピア色の想い出」
(>ハンナ・バーベラの世界)
● 「型作の部屋」内「趣味の部屋>ハンナバーベラについて」
本文中でメビウスが「ハンナ・バーベラは一人の人物だと思っていた」
と言っている箇所がありますが、
同制作会社は、
ウィリアム・ハンナ(William Hanna)と
ジョセフ・バーベラ(Joseph Barbera)という
二人の人物がつくったものなので、
当然、ハンナ・バーベラという人物が居るわけではありません。
二人とも男性です。
3
「Tex Avery」(テックス・エイブリー)は、
『バッグス・バニー』などで有名な
アニメーター、プロデューサーの名前です。
エイヴリーの制作した作品はフランス人に人気があるようです。
● ウィキペディア米内「Tex Avery」
● 「TAKUMIS WORLD」内「MyFavorite>Tex Avery」
● 「Webカラカサツウシン」内「モノログ>いろいろ」
(>テックス・アヴェリー)
● 「goo映画」内「テックス・エイヴェリー」
以下のページで、1980年代のサタデー・モーニング・カートゥーンの
番組表を見ることが出来ます。
● 「InThe80s」内「Saturday Morning TV Schedules」
メビウスがアメリカに居たのは1984年から1988年です。
該当箇所を見てみると、「Tom and Jerry」(トムとジェリー)や
「Flintstones」(フリントストーン)といった
ハンナ・バーベラ・プロダクションの作品や、
「Bugs Bunny」(バッグス・バニー)などの
テックス・エイヴリー作品を確認することが出来ます。
日本のアニメに該当しそうなものは
見つけることが出来ませんでした。
年代が違いますが、
1980年の8:00の欄に「Godzilla」(ゴジラ)とあるのが
なにげに侮れません。
当時はまだ日本のアニメは世界的にはまったく認知されておらず、
映画『ニモ』の制作の際に『ルパン三世 カリオストロの城』や
『風の谷のナウシカ』がはじめてアメリカに紹介されました。
4
『ロボテック』というのは、
アメリカで放映された日本のアニメの題名です。
日本で放映された『超時空要塞マクロス』『超時空騎団サザンクロス』
『機甲創世記モスピーダ』という三つの作品を
アメリカ向けに編集し直して
一つの作品として放映したもののようです。
1985年から放映され、
サタデー・モーニング・カートゥーンとは違って、
全国放送ではなく、地方局で放映されたようです。
● 『Robotech』公式サイト
● ウィキペディア米内「Robotech」
● 「アニメ! アニメ!」内「ロボテック 日本発米国経由中国行き」
● 「ADV東京」内「ADV Films>ROBOTECH」
● ウィキペディア日内「超時空要塞マクロス」
● ウィキペディア日内「超時空騎団サザンクロス」
● ウィキペディア日内「機甲創世記モスピーダ」
《付記》
記事中で言及されている年月について、
何点か疑問に思うところがあります。
くわしくは以下の記事を参照してください。
[
メビウス、宮崎駿に出会った時のこと:「CineLive」:《付記》]