フランスの映画雑誌「CineLive」誌に掲載された
メビウスのインタビュー記事の全訳の《付記》です。
インタビュー記事本文に関しては以下の記事を参照して下さい。
[
メビウス、宮崎駿に出会った時のこと:「CineLive」]
ここでは、上記のインタビューで言及されている年月について
検証を加えます。
《付記》
インタビュー本文中、
メビウスがはじめて宮崎駿の作品に触れたのは1987年だった、
(「C'etait en 1987, 」)
とありますが、
これはメビウスの思い違いであるようです。
まずは確実な情報を整理しておきましょう。
● [記者会見記事の下訳のまとめ1:「宮崎駿―メビウス」展]
● [『リトル・ニモの野望』解説]
メビウスがアメリカに居たのは1984年から1988年のあいだです。
1985年に映画『ニモ』の制作参加が決定して、来日もしています。
1985年の時点ではすでに宮崎駿の名前を知っていて、
一方、メビウスがはじめて宮崎作品に触れた時には
まだ宮崎駿の名前を知らなかったのですから、
メビウスがはじめて『風の谷のナウシカ』を観たのは、
1984年から1985年の間ということになるでしょう。
ところで、
メビウスがはじめて実際に宮崎駿本人に会った時期について、
以下のような情報があります。
● [雑誌「Cut」:「宮崎駿―メビウス」展の記事]
上記の記事で紹介している雑誌の記事に、
「今から17年前」にメビウスがはじめて宮崎駿に会った、
とあります。
問題はこの雑誌の発売時期と号数で、
2004年12月に発売された2005年1月号であるために、
「今から17年前」の「今」が何年なのか微妙なところです。
2004年から17年前は1987年、
2005年から17年前は1988年、
です。
ここで俄然輝きを増すのが、
上に訳出した雑誌記事の発言でしょう。
メビウスは、
はじめて宮崎作品を観た時期とはじめて宮崎駿に会った時期を
取り違えて記憶しているのです。
そう考えればすべて上手く説明することが出来るように思います。
つまり、メビウスがはじめて宮崎駿に会ったのは、
2004年から数えて17年前、1987年であったわけです。
あくまで僕の解釈による年代推定で、
決定的な資料に欠けているとは思うのですが、
まあ、これは確定しておいて良いのではないかと思います。
メビウスがはじめて『ナウシカ』を観たのは1984~1985年、
メビウスがはじめて宮崎駿に会ったのは1987年、
ということになります。
ただ、まだもう一つ問題が残っていて、
メビウスがはじめて『風の谷のナウシカ』の海賊版ビデオを観て、
「数ヶ月経ってから、『天空の城ラピュタ』が公開された」
(Laputa Le chateau dans le ciel sortait quelques mois plus tard. )
ともあります。
原文中「quelques mois plus tard」は、
「それから数ヶ月(もしくは2,3ヶ月)経ってから」
というほどの意味です。
『天空の城ラピュタ』が日本公開されたのは1986年8月2日、
アメリカで限定公開されたのが1989年、
他国での公開はおおよそ1987年以降なので、
ここで言っているのは日本公開の年月と見てよいでしょう。
● ウィキペディア日内「天空の城ラピュタ」
● 「くろねこ亭」内「天空の城ラピュタ」
● 同上内「ラピュタ世界公開のページ」
『ナウシカ』を一般公開前に海賊版ビデオで観てしまうくらいですから、
『ラピュタ』に関しても同様の手段で観たと考えてよいと思います。
そうなると、『ラピュタ』の日本公開年月から逆算して、
メビウスが『ナウシカ』を観たのは1986年の5,6月ごろ
ということになってしまいます。
1985年にはすでに宮崎駿の名前を知っていたことが
確実に分かっているのですから、
これでは矛盾してしまいます。
この問題とあわせて、
メビウスがはじめて『ナウシカ』を観たときのことについては
もう少し資料を集めてみる必要があると思うのですが、
今のところは、
『ラピュタ』の公開年月との矛盾はメビウスの記憶違い、
メビウスがはじめて宮崎駿に会ったのは1987年、
ということにしておきたいと思います。