宮崎駿の『風の谷のナウシカ』にも影響を与えた、
フランスの漫画『Arzach』の和訳です。
[
『Arzach』(アルザック)解説]
[
メビウス&宮崎駿対談動画:文字おこしと全和訳1]
LES DESSINATEURS ETAIENT ENTHOUSIASTES.
CHAQUE SEMAINE,
NOUS NOUS REUNISSIONS EN COMITE DE REDACTION,
A TRENTE, PARFOIS PLUS, DANS LA MEME PIECE,
ET LES IDEES FUSAIENT JUSQU'A CE QUE LE NUMERO SOIT FAIT.
NOUS CHERCHIONS SANS CESSE DE NOUVELLES PISTES.
POUR MOI, CELA TOMBAIT BIEN.
BLUEBERRY ME LAISSAIT QUELQUE REPIT,
JE FAISAIS DES ILLUSTRATIONS DE SCIENCE-FICTION.
DRUILLET N'ARRETAIT PAS DE ME DIRE :
《TU SAIS, TU DEVRAIS DESSINER UNE BANDE DANS CE STYLE...》,
JE REPONDAIS :
《OUAIS, OUAIS...》
MAIS J'ETAIS ALORS PLUTOT PARESSEUX
ET JE N'ALLAIS PAS VRAIMENT BIEN.
漫画家たちは俄然やる気になったね。
毎週みんなで集まっては、編集会議を開いていた。
30人、ときにはもっと多くの人数で会議室に集まって、
雑誌が印刷される直前までじゃんじゃんアイデアを出し合っていた。
僕たちは、未知の領域に分け入って行くのに夢中だったんだ。
僕個人にとってもこれはグッド・タイミングだった。
当時僕は、「ブルーベリー」に関してちょっと行き詰まっていて、
その間にSFのイラストを描いたりしていた。
それを見たドリュイエがずっとこう言ってたな。
「おまえ、この作風で漫画を描いてみた方がいいんじゃないのか?!」
僕はこう答えていた。
「うーん、そうかな……」
当時僕はどうも創作意欲が涌かなくて、
制作はぜんぜん捗(はかど)っていなかった。
《付記》
◆ 「NOUS NOUS REUNISSIONS EN COMITE DE REDACTION」
「みんなで集まって編集会議を開いていた」という意味。
『フランスコミック・アート展 図録』に以下のようにあります。
1968年の5月革命後には、
雑誌も時代の趨勢も反映すべきだと考えて、
時事問題を扱うページをもうけ、
毎号数人の作家が共同で特集記事をつくるようにした。
[貴田奈津子、89ページ]
この「時事問題を扱うページ」というのは、
「ピロット」誌の「Actualites」(ニュース)という
コーナーのことではないかと思われます。
● 「BD oubliees」内「ピロット」誌のページ
フランスの漫画雑誌のデータベースのサイトです。
● 「BD oubliees」内「ピロット」誌の「Acutualites」の一覧ページ
「ピロット」誌の「Actualites」のコーナーの一覧ページです。
1968年から1971年まで、
時事問題を扱う短篇漫画を複数の作家が制作し、
オムニバス形式で提示していたコーナーのようです。
メビウスも「Gir」「Giraud」というペンネームで参加しています。
● 「BD oubliees」内「Aide>Comprendre les descriptions」
当該サイトで使われている略号の解説ページです。
「Actualites」で多く見られる「RC xp」というのは、
「recit complet dessinee en x pages」
(xページ分の読みきり型のストーリー漫画)という意味です。
原文の「みんなで集まって、編集会議を開いていた」というのは、
この「Actualites」のコーナーの編集会議のことを言っているのでしょう。
なお、「Actualites>Actualite」は通常「ニュース」と訳されますが、
「現状、現況、時事」という意味も持つ語です。
◆ 「DRUILLET」(ドリュイエ)
Philippe Druillet(フィリップ・ドリュイエ)はベデ作家です。
実験的な作風で知られています。
メビウスとともに雑誌「メタル・ユルラン」の創刊や
出版社LES HUMANOIDES ASSOCIES社創設に参加しました。
● ウィキペディア仏内「Philippe Druillet」
上記ページに概略以下のようにあります。
1944年6月28日生まれ。
1966年に「ロン・スローン」(Lone Sloane)シリーズ第1作の
『深い闇の秘密』(Le Mystere des abimes)を発表する。
雑誌「ピロット」(Pilote)誌に参加してからは、
斬新な手法で誌面の革新に寄与した。
1975年には、
雑誌「メタル・ユルラン」(Metal Hurlant)誌の創刊と
出版社レズマノイド・アソシエ社(Les Humanoides Associes)の
設立に参加する。
[引用者注:ユマノ社の設立は1974年と思われる]
なお、『フランスコミック・アート展 図録』では
「Druillet」は「ドゥルイエ」と表記されていますが、
この表記は採りません。
フランス語のカタカナ表記の標準的な基準から考えても
「Druillet」は「ドリュイエ」と表記されますし、
実際ウェブ上でも「ドリュイエ」が通用しているようです。
● グーグル日で"druillet"で検索
「ドリュイエ」が通用しています。
● グーグル日で"ドゥルイエ"で検索
現在ヒット件数は1件。
当サイトで『図録』の記述を引いてある箇所が
ヒットしているだけです。
● グーグル日で"ドリュイエ"で検索
「ドリュイエ」が通用しています。
『フランスコミック・アート展 図録』は他にも
カタカナ表記の統一が取れていない例が結構あったり、
細かな点で記述に誤りが見られたりと、
資料集としていまひとつ信頼度が低いように思います。
中途半端に詰めが甘いのが困りものです。