今年の12月からフランスのパリで開かれる
「宮崎駿-メビウス」展のサイトの和訳、
訳文のチェックです。
下訳29のコメント欄で僕が訳文の自信のない箇所を挙げてみたところ、
訪問者のtsuyoさんに代案を提示してもらえました。
今回はその箇所について、
くわしく検討してみたいと思います。
問題の箇所は、公式サイトの「MIYAZAKI(宮崎)」のページの一節です。
公式サイト左側のメニュー一覧のなかの「MIYAZAKI」をクリックしてください。
移った先のページ、下から8行目、句点のあと、
ちょうど天空の城ラピュタのイラストの左下からはじまる一節が
問題の箇所です。
Il en sort diplome,
sans doute pour satisfaire ses parents,
car il integre la Toei en 1963.
まず、単語の意味をすべて書き出してみたいと思います。
参照した仏和辞典は、
『プチ・ロワイヤル仏和辞典 改訂新盤』
(倉方秀憲ほか編集、1986年1月10日初版発行、
2002年重版発行、旺文社)
です(リンク先は2003年1月発行の第3版)。
また、文法の解説書として、
上記辞典の巻末付録のなかの文法解説と、
『大学で始めるフランス語』
(山田秀男著、1996年4月1日初版発行、
2002年8月1日第5版発行、駿河台出版社)
を参照しています(リンク先は初版)。
文中に活用形として現れている語については、
活用形>原形
というかたちで示しました。
Il>il
【人称代名詞】彼は、それは、非人称主語。
「Il」は文頭のため、「i」が大文字になっている。
この場合は「宮崎駿」のことを指していると思われます。
en
【中性代名詞】不特定の人・物を表す名詞に代わる。
(その他の用法は省略)
この場合は、前の文で出た「大学」に代わっていると思われます。
sort>sortir
【自動詞】出る。外出する。離れる。~出身である。~を卒業する。
脱する。はみ出す。発売される。流れ出る。(その他の用法は省略)。
「sort」は「sortir」の三人称単数直説法現在形。
直接法とは、事柄を客観的事実として述べること。
現在時制とは、現在の事柄(出来事・行為・状態)を表すこと。
また、「物語的現在」として、
文学作品や会話で臨場感を出すために、
過去の事柄を現在形を用いて語る、という用法もある。
(現在時制のその他の用法は省略)
diplome(oに^、eに')
【形容詞】免状をもった、資格を取得した。
また、名詞「diplome(oに^がつき、eには何もつかない)」には、
免状、免許状、卒業証書、免状取得試験、という意味がある。
sans doute
【慣用句】おそらく、たぶん。(その他の用法は省略)。
pour
【前置詞】(うしろに不定詞をともなって)~のために[の]。
(その他の用法は省略)。
「不定詞」とは、動詞の原形のこと(厳密に言うと違うようですが、
フランス語では原形と不定詞は同じ、ということらしい)。
ちなみに次の「satisfaire」は不定詞。
satisfaire
【他動詞】〔人〕を満足させる、〔人〕の要求[期待]にこたえる、
〔欲求・感情など〕を満たす、満足させる。
(その他の用法は省略)。
ses
【所有代名詞】彼の、彼女の、その。
parent
【名詞】両親、親戚、先祖。(その他の用法は省略)。
「parents」は「parent」の複数形。
car
【接続詞】というのは、(なぜなら)~だから(前の文で述べたことの
理由・根拠を導く)。
il
【人称代名詞】彼は、それは、非人称主語。
一番最初の「Il」と同じ語。
integre>integrer(いずれも、ひとつ目のeに')
【自動詞】(グランゼコールの1つに)合格する、入学する。
(その他の用法は省略)。
「グランゼコール」とは
goo辞書によると、
「フランスで、一般の大学とは系統を異にし、
各分野のエリート養成を目的に設立された高等教育機関の総称。」
「integre」は「integrer」の三人称単数直接法現在形。
la>le
【定冠詞】人名・都市名以外の固有名詞には原則として定冠詞をつける。
建物・街路・団体・組織をあらわす固有名詞の前につく。
(その他の用法は省略)。
「la」は「le」の女性単数形です。
フランス語の名詞には、英語のように単数・複数の違いのほかに、
男性・女性・中性という性の違いというものがあります。
冠詞「le」はその後につづく名詞の数と性の違いによって
形が変化します。
ちなみに次の「Toei」は単数ですが、性は特定するには至りませんでした。
Toei
【固有名詞】日本のアニメーション制作会社
「東映」を
音写した語と思われる。
en
【前置詞】(時間を表す語の前について)~に。
(その他の用法は省略)
二つ目に挙げた中性代名詞の「en」と同形だが、
文脈から品詞の違いを判断しました。
1963
【数詞】これは西暦1963年のことと思われます。
フランス語の文法として、
・中性代名詞の「en」は一般的に動詞の前に置かれる。
・名詞に形容詞をつけるときは、日本語や英語と違って、
名詞の後に形容詞を置くのが原則である。
の二点も押さえておきたいと思います。
また、宮崎駿の伝記として、
● ウィキペディア日本内「宮崎駿」のページ
を参照しました。
同ページには、
「社会主義思想に傾倒し、児童文学者・マンガ家を志すが挫折。
大学卒業後、アニメータとして東映動画に入社する。」
「1963年 - 学習院大学卒業。東映動画入社。」
とあります。
さて、以上のことをふまえて、
問題の一節を逐語訳すると、
おおよそ次のようになるのではないかと思います。
彼は大学を免状(資格、卒業証書)を取得して卒業する、
おそらく彼の両親を満足させる(両親の期待、要求に答える)ために、
というのは、彼は1963年に東映に入社するから。
全体的に現在時制によって語られているのは、
「sort」の項で述べた「物語的現在」という用法が
用いられているからでしょう。
まず問題なのは、「diplome」が副詞ではなく形容詞だと言うことです。
この語が形容詞だということは、修飾している語は
動詞の「sortir(卒業する)」ではなく、
名詞の「Il(彼)」もしくは「en(大学)」と
考えなければなりません。
文脈から言って「Il(彼)」のほうを修飾していると考えられるかも
しれませんが、こういう用法は一般的なものではないように思います。
もしかしたら「diplome」に副詞としての用法があるのかもしれませんが、
特定するには至りませんでした。
しかし、いずれにしろ文全体としての意味は
上記の逐語訳で十分はっきりしているので、
この問題は全体的にはさほど大きなものではないでしょう。
ここでは副詞的に訳しておくことにしました。
つぎに問題なのは、
「diplome」によって示されている「取得した免状」は、
卒業証書と考えてよいのかどうか、です。
「大学を卒業した」ということだけを述べるためなら、
「IL en sort」だけで十分ではないかと思うのです。
わざわざ「diplome」をつけているからには、
普通に大学を卒業しただけでは取得できない免状、
たとえば教員免許、もしくは、
宮崎駿は学習院大学の政治経済学部を卒業したので、
その専攻に関係するなんらかの免状を取得したのではないか、
という可能を考えてみる必要があるのかもしれません。
ただ、そのような特殊な免状を取得したのなら、
「diplome」だけではなく、その免状の内容を明記するのではないか、
という疑問もあります。
宮崎駿が大学卒業時になんらかの免状を取得したのではないか、
ということで、一応検索をかけては見たのですが、
特定するには至りませんでした。
ただ、特殊な免状を取得したのであるならば、
なんらかの記述が発見されても良いように思うので、
最終的には「卒業証書を取得して卒業した」
というように解釈しておきました。
いちばん問題なのは、
コンマによって区切られている三つの句相互の関係です。
三つの句の内容を、仮につぎのように要約しておきたいと思います。
(1)大学を卒業
(2)両親の要求に答えるために
(3)東映に入社
問題は(2)でしょう。
(1)→(3)という流れならすんなり理解することが出来るのですが、
そのあいだに(2)が挟まっているために、
(2)と文章全体との関係が取りづらくなってしまっています。
僕は問題の一節を、結局、
卒業後、おそらく両親の勧めもあって、東映に入社します。
1963年のことでした。
というように訳しておきました。
ただ、いろいろと疑問が残っていて、
訳に自信が持てない、と言うことをコメント欄で告白したところ、
訪問者のtsuyoさんに
両親を満足させるため政治経済の卒業証書を得てから、
東映に入社した
と訳してみてはどうか、と代案を提示してもらうことが出来ました。
つまり、
僕が(2)が(3)の説明であると解釈したのに対し、
tusyoさんは(2)を(1)の説明として解釈した、
ということになるかと思います。
ここで僕がまず注目したいのは「car」という語です。
この語は、前の文で述べたことの理由・根拠を導く接続詞で、
英語の接続詞「for」に相当する語です。
まずある事柄を述べてから(主節)、
その補足的な説明を述べる(従属節)ばあいに、
この語が用いられるわけです。
つまり、「car」が用いられていることによって、
(3)(従属節)が(2)(主節)と密接な関係にある、と
判断することが出来る、ということになるのではないでしょうか。
そこで僕は、(2)と(3)を関係づけるかたちでこの一節を訳したわけです。
公式化すると、
(1)+(2){(3)}
という感じになるでしょうか。
ただし、(3)が、(1)と(2)両方をあわせた主節の従属節になる、
という場合も考えることが出来るかもしれません。
〔(1)+(2)〕(3)
このばあいは、(2)はむしろ(3)よりも(1)と密接な関係にあるわけで、
解釈はtsuyoさんの説の方に傾くのではないでしょうか。
ただ、この解釈をとるばあいは、
大学卒業の理由・根拠が東映入社になる、
というところに問題が出てくるように思います。
「car」は、その後につづく句がその前にある句の理由・根拠であることを
示す語なのですから、
東映に入社するために大学を卒業した、
ということにならなければなりません。
宮崎駿が何年も大学で留年し続けていたときに、
一念発起して東映に入社するために大学を卒業することにした、
ということなら文意が通じると思いますが、
宮崎駿は1941年生まれなので、
1963年にはちゃんと22歳で大学を卒業していることが分かります。
その次に注目したいのは「pour」です。
「pour」によって導かれる句は、
その前にある動詞の目的を表わしているわけですから、
(1)+(2)
を普通に読めば、
両親を安心させるために大学を卒業した。
というようになるでしょう。
これはtsuyoさんの解釈に近いように思います。
ただし、ここでもやはり、
これらの句と(3)との関係がはっきりしません。
三つの句相互の関係性を示す語としては
「pour」と「car」の二語しかないように思いますので、
以上のことから問題を解決して行かなければならないと思うのですが、
ここまで考えてきて、僕は、ウィキペディアの宮崎駿のページにあった、
社会主義思想に傾倒し、児童文学者・マンガ家を志すが挫折。
という一節を参考にすることを思いつきました。
つまり、問題の一節を解釈する際の前提として、
宮崎駿は、本当は、大学を留年するか退学して、
なおかつ、会社勤めはしたくなかった。
ということを想定してみてはどうか、
と思うのです。
「宮崎駿-メビウス」展公式サイトの文章にはそのようなことはまったく
書かれていませんが、
このことを前提として問題の一節を読んでみると
かなりすっきりと解釈できるように思うのです。
すなわち、
宮崎駿は、本当は、大学の卒業には興味がなくて、
一般職にも就きたくはなかった。
しかし、彼はちゃんと大学を卒業した。
それはおそらく両親を安心させるためであろう。
なぜなら、大学卒業後、ちゃんと東映に入社してもいるからだ。
という感じになるでしょうか。
「car」を解釈する際の第二案として提示したものに近いですが、
これらのことを文章全体の前提として考えるか、
(3)と(1)との関係として捉えるか、という違いがあります。
「pour」も「car」も、この前提と関係しているものとして
解釈してみるわけです。
また、以前の僕の解釈やtsuyoさんの解釈とは、
このようなことを明確に前提として想定しているか否か、
という違いがあるように思います。
そこで僕は、問題の一節をかなり思い切って意訳して、
本当は児童文学者やマンガ家を志していたようですが、
1963年にはちゃんと大学を卒業して、東映に入社します。
それはおそらく、両親を安心させるためでもあったのでしょう。
としてみてはどうかと考えています。
かなり思い切った意訳をしなければならない点に
まだまだ不安は残るものの、
文意はかなりすっきりしたのではないかと思います。
「diplome」の免状の内容の件に関しても、
ちゃんと大学を卒業する、ということが大切な意味を持つから、
わざわざ「diplome」という語を付け加えてあるのだ、
というように解釈できるのではないかと思います。
さて、ということで、
以上があらためて考えてみた結果なのですが、
いかがなものでしょうか。
やっぱり無理がありすぎるかなぁ~。