「メビウス、『メトロポリス』を語る」の訳注です。
他の関連記事については以下のインデックスを参照してください。
[
目次:メビウス、『メトロポリス』を語る]
◆ 落書きとサウンド・トラック
◆ 原文と問題点
インタビュー原文を直訳とともに挙げておきます。
AL:
Au niveau des références du film,
il y a un véritable jeu permanent tournant au jeu de piste
par rapport à
tout ce que l’on peut voir d’écrit sur les murs de Métropolis.
アニメランド:
映画の諸々の出典についてですが、
人々がメトロポリスの壁のうえに書かれたものを見ることができる
こと全てとの関連で、
サウンド・トラックのうえで
ひっきりなしの本当の遊びがあります。
要点は三つです。
1, 壁の落書き
2, サウンド・トラックのお遊び
3, 落書きとサウンド・トラックのお遊びとの間に関連がある
1については、
メトロポリスの地下世界の諸所で落書きを見つけることが出来ます。
2の「jeu de piste」(サウンド・トラックのお遊び)については、
『I Can't Stop Loving You』と
([
訳注『メトロポリス』:『I Can't Stop Loving You』])
ジャズ風のBGMをおもに挙げることが出来るでしょう。
問題は3で、
「par rapport à」(~に比べて、~との関連で)を
どう解釈するかによるのですが、
アニメランドのインタビュアーは、
落書きとサウンド・トラックのお遊びとのあいだに
「rapport」(関係)があると言っています。
これがよく分かりません。
◆ ジャズ風のBGMとスタイルの使い分け
まず、ジャズ風のBGMについて確認しておきましょう。
本作の音楽は
本多俊之という有名なジャズ・ミュージシャンが担当しています。
● ウィキペディア日内「本多俊之」
● 本多俊之公式サイト
このジャズ風のBGMは、
たんにジャズというだけではなくて、
作品のテーマと関連させたうえで
意識的にスタイルが使い分けられていると思います。
「漫画」にギャグや劇画等のスタイルの違いがあるのと同様に、
ジャズにも色々なスタイルの違いがあるのです。
本作では三つのスタイルが使い分けられていると思います。
◇ ディキシーランド・ジャズと狂騒の20年代
『メトロポリス』の地上世界の街並みは、
1920年代に流行ったアール・デコという美術の様式を
模したものになっているのですが、
ジャズ風のBGMは、この時代にアメリカで流行っていた
ディキシーランド・ジャズのスタイルを模したものになっています。
● ウィキペディア日内「アール・デコ」
● 同上内「ディキシーランド・ジャズ」
映画の最初のほう、
「METROPOLIS」という表題がおおきく映し出される前後の場面で
メトロポリスの喧騒が映し出されますが、
[レンタル版DVDで再生時間00:01:36~00:04:30、以下同様]
ここで鳴っているのがディキシーランド・スタイルのジャズです。
この場面はまさに、
「永遠の繁栄」(Great Prosperity)「狂騒の20年代」(Roaring Twenties)
「ジャズ・エイジ」(Jazz Age)などと呼ばれる、
もっとも繁栄を極めていた頃のアメリカを彷彿とさせる
仕掛けになっています。
● ウィキペディア日内「アメリカ合衆国の経済>2.2 第一次世界大戦と永遠の繁栄」
● ウィキペディア米内「Roaring Twenties」
● 同上内「Jazz Age」
なお、ニューヨークの摩天楼がこの時期に建設されていること、
このあとすぐ大恐慌が起こって
「永遠の繁栄」が未曾有の大不況に変わることも、
押さえておいて良いかもしれません。
● ウィキペディア日内「超高層ビル>3.1.2 ニューヨーク」
● 同上内「エンパイアステートビルディング」
*摩天楼を代表するアール・デコ調の超高層ビルです。
『メトロポリス』作中のジグラットのモデルをあえて特定するなら
これでしょう。
● 同上内「クライスラービル」
*エンパイアステートのすぐとなりに建つ
アール・デコ調の超高層ビルの傑作です。
● ウィキペディア米内「Empire State Building」
*上記二つのビルが一緒に写っている写真を見ることが出来ます。
● ウィキペディア米内「Chrysler Building」
● 同上内「世界恐慌」
◇ エリントンとハーレムの退廃
「ZONE」と名づけられている地下世界でも
ジャズ風のBGMが鳴る場面がありますが、
これはディキシーランド・スタイルではありません。
ケンイチ、ヒゲオヤジ(伴俊作)、ペロが
はじめてZONEに降りる場面[13:18~15:07]、
火災からティマを救ったケンイチが目を覚ます場面[25:32~27:05]
で鳴っているのは、
おそらくデューク・エリントン楽団のスタイルを模したものです。
● ウィキペディア日内「デューク・エリントン」
エリントンは
ニューヨークのマンハッタンにあるハーレムという地区を
活動の拠点にしていたのですが、
このハーレム地区は当時、
ギャングが牛耳る非常に治安の悪い土地でした。
● ウィキペディア日内「ハーレム (ニューヨーク市)」
エリントン楽団のダークでミステリアスな作風は、
ハーレムの退廃的な雰囲気を彷彿とさせるものです。
● 『メトロポリス』公式サイト内「MAP」
*「超近代的な地上都市と退廃的な地下都市」
エリントン楽団が最盛期を迎えるのは1940年前後なのですが、
すでに1927年にはハーレムで活動を開始しているので、
ディキシーランドとエリントンという二つのスタイルの使い分けは、
狂騒の20年代に沸くニューヨークの
光と影を想起させる狙いがあるのでしょう。
*[13:47]ヒゲオヤジのセリフ
「ほほう/光ある所に影は生まれる… か」
◇ ベイシーと30年代の希望
ラストの大崩壊のシーンの後に鳴るジャズ風のBGMはさらに巧妙です。
[01:38:53~01:42:32]
このBGMは前半と後半に分かれるのですが、
前半[01:38:53~01:40:43]はディキシーランド、
後半[01:40:44~01:42:32]はおそらく
カウント・ベイシー楽団のスタイルを模したものです。
この点はとくに大切なので強調しておきたいのですが、
後半部分でのサックス・セクションのシンコペーションの溜め方や、
いちばん最後のピアノのパターンは、
ベイシー楽団の専売特許です。
● ウィキペディア日内「カウント・ベイシー」
ベイシーは、大恐慌後の30年代に主流になった
スイング・ジャズを代表するプレイヤーで、
とにかくハッピーな作風を信条としています。
● ウィキペディア日内「スウィング・ジャズ」
狂騒の20年代から大恐慌を経て、
1930年代の希望を求めるアメリカの歴史の変遷が、
一曲のなかのスタイルの変化に込められているのではないでしょうか。
(同じ曲の途中でスタイルを変えるなんてことは普通はしないものです)
オープニングとの対比を与えるために、
オープニングの曲のメロディーをそのまま使って
アレンジだけを変えているところも巧妙です。
◆ 落書きとの関係?
このように、たしかに「出典」(des références)のある
「サウンド・トラックのお遊び」(jeu de piste)だとは思うのですが、
「壁の落書き」(écrit sur les murs)との「関係」(rapport)が
具体的にどういうものなのかが、良く分かりません。
僕が見た限りでは、
明確に音楽と関連のありそうな落書きは以下の3例です。
(看板も含めています。
原文の「écrit」は「書かれたもの」という意味です)

[11:55]
マンハッタンに「RADIO CITY MUSIC HALL」という有名な劇場があります。
● ウィキペディア日内「ラジオシティ・ミュージックホール」
前述のニューヨークの摩天楼の一角にあります。

[20:15]
「BE BOP」というジャズのスタイルがあります。
● ウィキペディア日内「ビバップ」
なお、この場面で鳴っているBGMはビ・バップではありません。
とくにこれと特定できる作風ではありません。

[55:31]
「So What」というジャズの有名な曲があります。
● ウィキペディア米内「So What (composition)」
ジャズの歴史を変えた非常に有名な曲です。
曲そのものは作中では使われていません。

[45:16]

[45:11]
「So What」は
ZONE-1のEASTブロックとWESTブロックを結ぶ通りの名前
ではないかと思います。
くわしくは以下の記事を参照してください。
[
補足資料『メトロポリス』:ZONE-1の地図]
また、明確に音楽と関係しているとは言えませんが、
上述のニューヨークのマンハッタンを想起させるものがあります。

[45:15]
「Park Avenue」(パーク・アヴェニュー)はマンハッタンの通りの名前です。
● ウィキペディア米内「Park Avenue (Manhattan)」
上述の摩天楼とハーレムをつなぐ通りです。

[56:03]
「MANHATTAN」(マンハッタン)の「TTAN」だと思います。
● 「あっとニューヨーク」内「基本情報・旅行情報>地図/地下鉄マップ>ニューヨークの地図(ニューヨーク区・マンハッタン島全域)」
*ハーレムと摩天楼のあるミッドタウンの位置関係を
確認することが出来ます。
● 同上内「>ミッドタウン(北側)の地図」
*ロックフェラーセンターを赤丸で囲ってあるところに
「Radio City Music Hall」とあります。
クライスラービルは42nd StとLexington Aveの角、
(Radio City Music Hallの南東)
エンパイアステートビルディングは地図から見切れていますが、
33rd,34th StとFifth Aveの角で、
クライスラービルの南西に位置します。
Radio City Music Hallとクライスラービルのあいだに
「Park Ave」とあります。
ということで、
落書きとサウンド・トラックとのあいだに
とくにこれと言えるほどの関係を挙げることが出来ません。
「par rapport à」は、
たんに並列の意味として解釈するべきなのでしょう。
◆ 『St. James Infirmary』と『There'll Never Be Good-Bye』
「サウンド・トラックのお遊び」という意味では、
挿入歌の『St. James Infirmary』と『There'll Never Be Good-Bye』も
確認しておく必要があるでしょう。
◇ 『St. James Infirmary』
『St.James Infirmary』はブルースの古典的な曲です。
● アマゾン日内「ジャズ詩大全〈第7巻〉」のページ
*この曲について解説されています。
大型図書館で架蔵しているところがあります。
● 「Absolute Lyrics」内「Van Morrison>Saint James Infirmary」
● 同上内「The White Stripes Lyrics>St. James Infirmary Blues」
*歌詞を参照することが出来ます。
こういう曲の常として
歌詞はその場の気分で歌い替えられる場合があるので、
細かい点で相違があります。
『ジャズ詩大全』(第7巻)によると
この曲は全部で4番まであるようなのですが、
映画のなかで歌われているのは3番です。
上記の歌詞検索サイトで紹介されているのは3番と4番です。
実際に歌われている歌詞は以下のようになると思います。
I went down to St. James Infirmary,
I saw my baby there.
She was stretched out on a long white table,
so cold, so sweet, so bare.
Let her go, let'er go, God bless her,
wherever she may be.
She can look this wide world over,
she'll never find a sweet man like me.
聖ジェイムズ診療所へいって
そこで僕のあのこを見たよ
長い白いテイブルの上でのびていた、
冷たく優しい表情で裸だった
彼女を死なせてやってくれ、死なせてやってくれ
神よ、あのこに祝福を! あのこがどこへいくのであろうと
あのこが世のなかを見わたしたって、
僕より優しい男は見つけられっこないさ
[『ジャズ詩大全』第7巻204~205ペイジの原詩・訳をもとに私見により改めた。訳は村尾陸男]
(おそらく暴行を受けて病院に担ぎ込まれた)
瀕死の恋人を見送る歌です。
ティマを天使に見立てる場面[48:51~50:30]で、
「God bless her」(神よ、あのこに祝福を!)と歌いながら、
じつはティマが失われることを予告しているわけです。
非常に巧妙な選曲だと思います。
◇ 『There'll Never Be Good-Bye』
この曲は映画のために書き下ろされたのでしょう。
● アマゾン日内「THERE’LL NEVER BE GOOD-BYE~THE THEME OF METROPOLIS~」
エンディング・テーマとして使われているほか、
ティマがラジオを見つける場面[46:52~46:56]で、
この曲のサビの歌い出しが流れます。
(エンディングの[01:44:16~01:44:20]に相当)
オープニングや大崩壊後に流れるジャズ風のBGMも、
この曲をアレンジしたものになっています。
歌詞を真さんから提供していただいたのですが、
さすがに全文転載するのは問題がありすぎるので、
もっとも重要だと思われる箇所の訳詩だけ、
抜粋しておきたいと思います。
(サックスソロの次のサビ明けから最後まで、[01:46:17~01:47:18])
お叱りを受けた場合は即刻削除する所存です。
手を握っていてくれた時のように
私の心のそばにいて
私の命は終わっていくけれど
あなたは私のなかで生き続ける
私の心が私のものでなくなってしまうまで
でも堕ちていく私の姿をあなたには見せたくないから
ここから消えよう
そう、忘れないで、
これはさよならではないの
決して忘れないで、
さよならなんて
ないのだから。
[原詩はMinako "mooki"Obata、訳者不明]
*個人的に気になるので注記しておきますが、
訳詩中「堕ちて」とあるところの原詩は「fall」です。
ケンイチの心情に重ねあわされる
『I Can't Stop Loving You』と『St. James Infirmary』に対して、
ティマの側からのアンサー・ソングになっています。
深読みに過ぎるかもしれませんが、
映画のオープニング・テーマはこの曲をアレンジしたものですから、
この映画は全編にわたって、
BGMによって結末(もしくは結末以後)が予告されていることになります。
各場面にぴったりの音楽だけではなく、
あえて内容をずらせることによって、
音楽によって作品の世界が二重三重に広げられているわけです。
なお、
『There Will Never Be Another You』というジャズの有名な曲があるので、
もしかしたらこれを踏まえているのかも知れません。
(「There'll never be~」というのは慣用句ですが、
『~Another You』はものすごく有名な曲なので、
本田俊之が知らないはずがありません)
● 「ARTANIS」内「 There Will Never Be Another You...(Harry Warren) 」
――どうでもいいことですが、
古典的な曲の中から絶妙の選曲をする監督の手腕も恐ろしいですが、
作詞者(Minako"mooki"Obata)と作曲者(本田俊之)は、
レイ・チャールズとブルースの古典に匹敵する曲を創ってくれ
と言われているのも同然なのですから、
よくもまあ、仕事を受けたよな、と思ったり思わなかったり……。
(普通は畏れ多くて出来ませんよね、やっぱり)
◆ その他
エンド・クレジットによると、
ジャズ風のBGMを演奏しているバンドの名前は
「METROPOLITAN RHYTHM KINGS」となっていますが、
(メンバーも豪華です)
これはディキシーランド・ジャズのバンド名を意識したものだと思います。
● ウィキペディア米内「New Orleans Rhythm Kings」
そしてなんと、
りんたろう監督がバスクラリネット(B.Cl)でクレジットされています。
ロートン博士の研究所が映し出される場面[14:47~15:07]の、
右チャンネルでトリルを吹いているバスクラリネットが
りんたろう監督だと思うのですが、いかがでしょうか。
とにかく、
音楽にしっかりとした意味づけがなされているのは間違いないようです。
また、じつは主人公のケンイチの声も、
有名なジャズ・シンガーの小林桂が担当しています。
● 小林桂公式サイト
映画公開の2001年は、
ちょうど小林桂が精力的に売り出していた時期に当たります。
声優の才能まであるとは恐ろしいかぎりですが、
サウンド・トラックに参加していないのが実に惜しいっ。
せっかくだから本多俊之と競演して欲しかったのに……。
なお、ヒップ・ホップのグラフィティ風の落書きを
作品の諸所で見つけることができますが、
ヒップ・ホップとの関連は考えなくても良いでしょう。
● ウィキペディア日内「グラフィティ」
● 同上内「ヒップホップ」
[
目次:メビウス、『メトロポリス』を語る]