雑誌「BRUTUS」2007年1月1日・1月15日合併号(第28巻第1号、No608)に、
メビウスのコメントが掲載されています。
◆ メビウスはどうでもいい、大友克洋が漫画を描いた!
◆ 「BRUTUS」の綴じ込み付録
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雑誌本体ではなく、
「別冊特別付録 WHO IS KATSUHIRO OTOMO? 大友克洋 新解説」
という綴じ込み付録に、メビウスのコメントが掲載されています。
28ペイジにメビウスのコメントが掲載されているほか、
33ペイジの大友克洋のインタビューのなかでも
メビウスについて言及されています。
ただし、
いずれも量が少なく、特に目新しいことも述べられていないので、
(メビウスのコメントだけが目的なら)
立ち読みで充分だと思います。
◆ メビウスがはじめて大友作品を読んだ時期
個人的に気になったところをメモしておきます。
[初めて大友作品を体験したのは]1984~85年頃。
初めて手にした大友氏の作品は、当時住んでいたロサンジェルスの書店で見つけた『さよならにっぽん』でした。
メビウスは1984年から1988年にかけて
アメリカに移住して活動していました。
はじめて大友作品を読んだのは1984~1985年頃とありますが、
ほぼ同じ時期に宮崎駿の作品(『風の谷のナウシカ』の海賊版ビデオ)も
はじめて観たことが分かっています。
● [
メビウス、宮崎駿に出会った時のこと:「CineLive」:《付記》]
ちょうど日本でも、
メビウスをはじめベデが積極的に受容されていた時期です。
◆ メビウスと大友克洋が実際に会った時期
大友氏とは3回ほどお会いして、お互いに親交を深めました。
メビウスと大友克洋がはじめて出会ったのは、
おそらく1991年ではないかと思います。
● [
メビウス&大友克洋対談記事:「OTOMOEBIUS」1>注8]
その後、
メビウスの作品が映画化される企画に大友克洋が参加したことがあるので、
おそらくこの時に1回会っているのではないかと思います。
この映画は『The Airtight Garage』という題名で、
1995年のクリスマスの公開を目指していたものの
けっきょく頓挫してしまったので、
90年代前半に会っているということになるでしょう。
● [
メビウス&大友克洋対談記事:「OTOMOEBIUS」1>注7]
3回目に会ったのは2004年9月7日です。
● [
大友克洋「スチームボーイ」展とメビウス]
僕の調べたかぎりでは
上記の3回以外に実際に会ったという情報はないので、
これでメビウスのコメントどおり「3回ほどお会いし」たということに
なるのでしょう。
なお、コメントの最後の人物紹介欄に
『デューン 砂の惑星』の製作に参加したとありますが、
メビウスが参加した映画は
『デューン 砂の惑星』(デイヴィッド・リンチ監督)ではなく、
アレハンドロ・ホドロフスキー監督の『DUNE』(映画化は頓挫)です。
● ウィキペディア日内「デューン」
● [
バイオグラフィー訳案14]
雑誌本体なんか要らないから、綴じ込み付録だけ売ってくれ!
「BRUTUS」の情報は、
当サイトの訪問者、真さんから教えていただきました
ありがとうございました&返信がおくれてすいませんでした