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荒木飛呂彦のコマ割りの原理]の追記です。
作者の意図は関係ない、ということを確認します。
◆ 作者の意図は関係ありません
僕の書き方が悪かったのですが、
誤解を避けるために付け加えておきたいことがあります。
荒木割りに関する僕の分析結果は、
荒木飛呂彦本人が意図しているものではないと思っています。
もしかしたら「ページ全体を傾ける」という方法論自体は
自覚しているのかも知れませんが、
少なくとも初期の例では、
無意識のうちに荒木割りが試みられているはずです。
意図的にやっているにしては微妙な例が多すぎますし、
第三部における荒木割り数の分布にもムラがありすぎます。
おそらくは“斜めルール”の極端な例として
自然発生的に荒木割りが現われるようになって、
それが多用されるうちに、
しっかりとした方法論の自覚のないまま定着していった
のではないでしょうか。
[
その4]コメント欄でのドブチさんのご指摘についても同様です。
(ご指摘自体は非常に助かりました。ありがとうございます)
荒木飛呂彦本人がどう考えているかは根拠にはならないと
僕は考えています。
じつは、
「絵のカタチにあわせてコマを変形させてる」というアイデア自体は、
分析を始めたばかりのころに僕も思いついていたものなのです。
しかし、その原理
では荒木割りを説明しきれません。
人物の傾きの方向とコマの傾きの方向の関係に注目してください。
28ページ1コマ目では、人物がコマの対角線にほぼ重なっています。
コマもその対角線に沿って
右斜め上に向けて引っぱられたように変形しています。
(人物の傾きの方向とコマが引っぱられる方向が同じ)
しかし28ページ最終コマはどうでしょうか。
人物は左に向けて傾いているにも関わらず、
コマは左下に向けて引っぱられています。
(人物の傾きの方向とコマが引っぱられる方向が直交している)
28ページ2コマ目の上の枠線が左肩上がりに割られているのは、
二人の身長差を反映しているのでしょうか。
しかしもしそうだとしたら、30ページ3コマ目で、
遠近法の関係で見かけ上の二人の身長が同じになっているにも関わらず、
上の枠線が右肩上がりに割られているのは何故なのでしょうか。
さらに、ドブチさんも指摘してくれたように、
1ページぶち抜きのコマになると問題は決定的です。
左右のページで絵がほとんど同じであるにも関わらず、
コマの形は左右対称になっています。
さらに多くの例を分析してみると分かるのですが、
「絵のカタチ」に対するコマの向きのバリエーションが
あまりにも多すぎて、
ぼくは結局、
絵とコマとは関係ない、という結論を出さざるを得ませんでした。
(その次に僕が思いついたアイデアは
「効果線のような効果をねらったコマ割り」だったのですが、
これも荒木割りの分析には適用できませんでした。
手塚治虫がそのようなコマ割りを使っていると思います)
作家がつねに自分の方法について自覚的であるとは限りません。
とくに、革新的な技法というものは、
むしろ無意識のうちに実行されるものなんじゃないでしょうか。
未開の領域を手探りで進むからこそ革新的な技法になり得るわけだし、
だからこそ作家は、みずからの方法を十分に理論化できない、
と僕は思うのです。
結局、
荒木飛呂彦は自らの言葉どおりに漫画を描いているわけではなくて、
そもそも作家本人にいくら訊いてみても創作の秘密は明かされえない、
というのが僕の考えです。
むしろ、
作家が無意識のうちにやっていることを明確化したい、
作家が自ら語る以上に面白く作品を読んでみたい、
作家が思いも付かなかったような新しい可能性を
作品から引き出してみたい、
というのが僕の願いです。
◆ 『カリガリ博士』は単に形が似ているだけです
もしかしたら
荒木割りのお手本にした先行例があるのかも知れませんが、
僕は見つけることが出来ていません。
僕なりに色々と調べてはみたのですが、
形が似ている例として『カリガリ博士』を挙げ得たのみです。
ウィキペディア日によると荒木飛呂彦は映画好きだとあるので、
(
● ウィキペディア日内「荒木飛呂彦>人物」)
有名な古典映画である『カリガリ博士』を知らないはずがありませんが、
『カリガリ博士』のアイリスショットが
荒木割りの直接のヒントになっているわけではないでしょう。
◆ 『第三の男』は絵が傾いている例です
● はてなブックマーク > メビウス・ラビリンス : 荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - あなたは今どんな姿勢でモニターを見ているのか?
halfstory 映画で言うと、『第三の男』みたいな斜め構図も近いかも。
うをー、それそれ!
興味深いご意見ありがとうございます。
確かにそうなんですよね、
観客の平衡感覚を狂わせる働きをする、という点では
『第三の男』の斜め構図も同様だと思うのです。
ただ、あれ
は「絵が傾いている例」だと判断しました。
微妙な差で、判定もむずかしいのですが、
あれは枠ではなく絵が傾いている例だと思うのです。
([
その4]掲載の「絵を傾けるか枠を傾けるか」という画像を
参照してもらえると助かります。あと、この下の「補足説明」も)
たしかに、撮影している段階ではカメラを傾けているはずなんですが、
出来上がった映画をスクリーンで観る段階では、
傾いているのはあくまで絵なのであって、
スクリーンではないはずです。
絵はそのままで枠だけ傾けるのが荒木割りで、
枠はそのままで絵だけが傾いているのが『第三の男』です。
荒木割りは絵を傾ける必要がないからこそ、
あそこまで多用できるコマ割りになり得たわけです。
何はともあれ、ご意見自体は非常に助かりました。
*『第三の男』を知らない人のための注:
『第三の男』は非常に有名な古典映画です。
わざとカメラを斜めにした構図を多用している映画でもあります。
● ウィキペディア日内「第三の男」
● 「週刊シネママガジン」内「フィルムロジック>Chapter 15 構図」
僕が「枠はそのままで絵だけが傾いている」と分析した場面の画像が
挙げられています。
リンク先では「映像のフレームが傾いている」とされていますが、
これは用語法が僕のものと違うだけで、
僕の分析手順に従うなら、
あくまで「絵だけが傾いている」例として分析されるはずです。
◆ 補足説明:絵と枠の傾きに関する五つの類型
“絵”と“枠”の二つの要素をそれぞれ別個に傾けることが出来る。
この二つの要素の傾き加減の組み合わせによって、
つぎの五つのタイプが生まれる。
1 絵も枠も傾けない(普通のコマ割り、普通の絵画など)
2 絵だけを傾ける(『第三の男』)
3 枠だけを傾ける(荒木割り、『カリガリ博士』)
4 絵も枠も傾ける(傾けて掛けられた絵画など)
5 絵と枠の傾き加減が違う(該当例思い当たらず)
荒木割りの分析だけなら1~3のタイプだけを考えればよい。
2と3は、垂直方向の違いを考慮しないなら同じものと見なすことが出来る。
(上記の画像例も、2を右に15度傾けると3と一致するように作ってある)
観客(読者)の平行感覚を狂わせる働きをするという点も同じである。
ただし、
垂直方向の違いを考慮するなら2と3はあくまで違う例だし、
この違いを考慮しないと、
荒木割りとその他のコマ割りの区別が付けられなくなる。
実際には4や5に該当する例も見られるが、
(上記の単『ジョジョ』第30巻28ページ1コマ目は4、
28ページ最終コマは5に該当する)
これらは「枠を傾ける」という性質で一括して、
すべて荒木割りに分類すれば良いだろう。
荒木割りの本質的はあくまで「枠を傾ける」だからである。
絵と枠との関係は考慮する必要がない。
その結果、
1,2(普通のコマ割り)と3,4,5(荒木割り)の二種類を分類するだけで済む。
「絵のカタチにあわせてコマを変形させてる」
という原理で説明しようとすると、
上記1~5をすべて異なる例として分類しなければならず、
分類が必要以上に煩雑になってしまう。
◆ 「この例は絵の内容と関連している!」と思ったあなたへ
荒木割りの考察を読んで頂きありがとうございます。
荒木割りの例を見ていて、
「この例は絵の内容と関連している!」と思った方は、
コメントを投稿する前に、次の問題を考えてみてください。
手短に説明するなら、
「
今あなたが思いついた原理を他の例にも適用してみて下さい。
ほぼ全ての荒木割りに適用できるなら、
ぜひともご連絡ください。
(メールの場合は当サイト上に転載することがあります)
他の例に適用できなかった場合は、
あなたと同じことを思いついている人がすでに沢山います。
コメントをいただいても返答できません。」
ということになります。
では、
より詳しい説明を「議論の反復を避けるために」にまとめてみましたので、
参照していただけると助かります。
◆ 議論の反復を避けるために
おかげさまで、
僕の考察に対してさまざまなご意見を頂けるようになりました。
意見をいただけること自体は本当にうれしいのですが、
僕はその意見を参考にして、
議論をさらに前に進めて行きたいと考えています。
議論の反復を避けるために、
以下の三点をあらためて強調させてください。
1,コマの形は絵の内容と関連していなくても良い。
2,作者の意図を最重視する必要は無い。
3,一部の例だけではなく、
ほぼ全ての例を統一的な原理で説明できなければならない。
「コマの形は絵の内容と関連していなくてはならない」
「作者の意図は絶対である」
というは、
多くの漫画読者が共有している非常に強力な固定観念だと思います。
しかし、多くの荒木割りを分析してみた結果、
僕は、
この固定観念を捨てないかぎり荒木割りを分析することは出来ない、
という結論を出さざるを得ませんでした。
たしかに、
個々の例について、
そのつど絵の内容と関連させて、
コマの形を説明することは可能なのです。
しかしそれだけでは僕の説に対する反論にはなり得ません。
荒木割りの原理を解明するためには、
一部の例だけではなく、
全ての例を統一的な原理で説明する必要があるはずです。
実際に分析をしてみるとどうしても微妙な例が出てくるので、
「全て」というわけには行かないでしょうが、
ほぼ全ての例を統一的な原理で説明できないかぎり、
反論として認めるわけには行きません。
誤解していただきたくないのですが、
僕の説に対して反論するな、と言いたいわけではありません。
たとえば、
「絵の内容との関連から、
一部ではなくほぼ全ての荒木割りを、
統一的に説明できる原理を思いついた」
というご意見なら、むしろ大歓迎です。
しかし、
一部の例だけを取り上げて、
「この例は絵の内容と関連している」
というだけでは反論にはなり得ません。
そしてそういった意見に対して、
そのつど同じ返答をくり返すことは僕には出来ないのです。
また、念のために先回りしておきたいのですが、
絵の内容との関連から、
個々の例をそのつど違う原理で説明したうえで、
「すべての例を絵の内容との関連から説明できる」
とする反論も認めるわけには行きません。
ほぼ全ての例を“統一的な”原理で説明できてはじめて、
荒木割りを解明したと言い得るはずです。
僕の考察を検証していただけること自体はうれしく思っています。
(僕の提案した問題を一緒に考えてくれる、というのは、
いただける反応のなかでも特にうれしいものです)
議論の反復を避けるように配慮していただけると、
さらにうれしく思います。
なお、
議論の進展にしたがって、本章を増補するかもしれません。
あ、あと、そのぅ、
ここはあくまでメビウスのファンサイトなので、
メビウスの方もよろしく、とか言ってみたりして……。
┏━┓
┃め┃「メビウス・ラビリンス」管理人
┗━┛
サイトの更新自体は停止してしまっているので、
ご連絡をいただいても返信できないかもしれません。
(ごめんなさい)
あらかじめご了承ください。
◆ 返信はもう出来ません
● [
その4]
● [
追記]
*両記事へのSTさんからコメント参照。
書いた本人ですら、
「すでに過去のものであって、もはや顧みられるべきものではない」
と考えていた本考察に、
いまだにこうやって反応を頂けることに驚いています。
ただ、サイト上ですでに告知しているような理由から、
詳しく返信することは出来ません。
「そういう反論をあらかじめ予想していたからこそ、
『その4』で展開した『ジョジョ』第三部の分析をしているのだ」
というのが僕からの返信の骨子なのですが、
詳述するだけの時間は取れません。
さすがにこれ以上責任が取れそうにないので、
本考察に関するコメントやトラックバックに、
僕から返信することはもう出来ない、
とここで明言しておきたいと思います。
きりがなくなってしまうので、
これ以降の、本考察へのコメントとトラックバックは、
見つけ次第削除することにします。
遺憾ながらメールもチェックしなくなって随分経つので、
メールを頂いても僕が読むことはないと思います。
当サイトの記事は非商用なら無断で転載していただいて構いませんので、
どうしても本考察について発言したい方は、
自分のサイトに本考察を転載したうえで、
僕とは違う人に向かって自分の考えを問うて下さい。
このサイト自体は可能なかぎり公開しておくつもりなので、
転載せずにリンクだけでも構いませんし、
もちろん引用して頂くのも自由です。
自分の考察にいまだに反応を頂けること自体はとても嬉しいですし、
光栄にも思っています。
くわしく返信できないのが残念でなりません。
[
荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - もくじ]
[
荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - その1]
[
荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - その2]
[
荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - その3]
[
荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - その4]
[
荒木飛呂彦のコマ割りの原理 - 追記]