「LE CANYON DE BLUEBERRY」というメビウスのファンサイトの
バイオグラフィーの訳案です。
1963 La grande rencontre!
Il fait la connaissance de Jean-Michel Charlier,
a ce moment la redacteur en chef de Dargaud,
avec lequel il cree ce pour quoi ce site existe :
la serie Blueberry, qui eu pour premiere appelation, Fort Navajo.
1963年 この年にはとても大切なめぐり合いがありました!
彼は、当時出版社ダルゴー社の編集長だった
ジャン・ミシェル・シャルリエと出会い、
「ブルーベリー」シリーズ
(まさにこの作品のために、このサイトが存在しているのです)
を生み出すことになります。
シリーズ第一作は『ナヴァホ砦』でした。
*「ブルーベリー」シリーズについては、
[
語る>「Blueberry」(ブルーベリー)シリーズ解説]
を参照してください。
同シリーズはもともと、1963年にバンド・デシネの雑誌
「Pilote(ピロット)」誌(パイロットという意味)に初めて発表され、
連載されていたものです。
以下のサイトで、連載当時の「ピロット」誌の表紙の画像を
確認することが出来ます。
● 「BD oubliees」内「Fort Navajo (Blueberry) dans Pilote」
アルバム『Blueberry - Fort Navajo』は1965年に出版されました。
● DARGAUD社サイト内『Fort Navajo』紹介ページ
● 同『Fort Navajo』画像紹介ページ
かなり大きなサイズで、同作の画像を5枚見ることが出来ます。
● 「BD GEST'」内「Blueberry - Fort Navajo」
同作には五種類の版があるようです。
それぞれの版の表紙の画像を確認することができます。
(クリックで拡大)
*シャルリエがダルゴー社の編集長だったというのは、
ダルゴー社で出版していたバンド・デシネの雑誌の
編集長をしていたことを、指しているのではないかと思われます。
● L'INTERVIEW A RALPH
ジャン・ミシェル・シャルリエの息子
フィリップ・シャルリエ(Phillipe Charlier)のインタビューです。
最後の質問に、以下のように答えています。
RALPH: Pourquoi, apres une periode de repos par
rapport a la BD,
Charlier n'est-il pas revenu a Pilote mais
au journal Tintin?
Phillipe CHARLIER: [中略]C'est la direction de
Tintin Belgique qui
lui a demande de s'occuper de la version francaise du
journal en tant que redacteur en chef.
ラルフ[インタビュアー]:なぜシャルリエ氏は、
バンド・デシネから一時期身を引いた後に、
「ピロット」誌ではなく、
「タンタン」誌へと移ったのでしょうか?
フィリップ・シャルリエ:[中略]
ベルギーの「タンタン」誌の経営陣の方から、
父に編集長に就いて欲しい、という申し出があったのです。
●「BD GEST'」内「Charlier, Jean-Michel」
以下の一節があります。
Pour Pilote,
dont il est redacteur en chef des le n° 1(1959),
il concoit les series Barbe-Rouge[後略]
彼は「ピロット」誌に連載された「赤ひげ」シリーズ[中略]の
原作を提供した。
同誌の第一号(1959年刊)において、
彼は編集長を務めている。
● 「EXPOSITIONS VIRTUELLES」内「Charlier Jean-Michelの伝記」
このページにもすぐ上に引いたものと同じ一節があります。
● ウィキペディア仏内「バンド・デシネの雑誌名一覧」
「Pilote(hebdomadaire)」(週刊「ピロット」)と「Tintin」が、
いずれも「Dargaud」社から発行されていることが分かります。